ホームシック

一昨日は夜勤、昨日は夜勤明けの休日で、15時頃から子どもたちが来てくれた。

今日は13時から勤務だったので、11時頃に子どもたちは帰っていった。

22時までの勤務を終え、今帰宅してひと息ついている。

変則的な勤務だけれど、子どもたちと過ごす時間を捻出できている。

私の体力がついたことに一番驚いている。

 

 

アドラーを共に学んでいる全国各地の仲間たちが、それぞれに地域ぐるみの素晴らしい共同体を作っておられることをとても羨ましく思う。

オンライン勉強会で話し合っているときも、講座に出たという話などを聞くととても羨ましく思う。

自分でも驚くほどに、fallしてしまう。

劣等の位置に落ちてしまう。

 

わかっている状態からはほど遠かったと思うけれど

私の今までの暮らしはアドラー心理学に浸っていた。

私自身がひとつのコミュニティーを作っていくことを目指し始めていた。

共に学ぶ仲間ができて、自助グループもなんとか定着してきた。

多少なりともアドラー心理学を使ってお役に立てるようになってきた。

 

でも今の私の生活は、その延長線上にあるようには思えない。

 

 

 

上司たちが私のことをとても気にかけてくださっている。

1人の上司が、言いにくそうに教えてくれて判明したことがある。

うちの施設は心理療法担当の人材を募集するつもりはなく、本部が施設に無断で募集をかけてしまったのだそうだ。

それをハローワークの私の担当だった方が目ざとく見つけて、すぐに私が応募したのだった。

人手が足りなかったのは本当だったので、採用となったわけだけど、

心理療法担当はしていただけるかどうかはわからない、と内定後言われたのは、

もともと私が心理の専門職としては求められていなかったからだった。

本部からは心理療法担当で名札を渡されたけれど、本部の研修が終わった後、施設からは別の職務の名札を渡されたので、

雲行きが怪しいことは感じていたが、謎が解けた。

 

こちらとしては一生懸命働いてもらえて何も問題ないんですが、心理の仕事をと思って来られたMさんには申し訳なくて…と、上司がすまなそうに言われた。

1年ぐらいはこの施設に慣れてもらって、それから心理の仕事をしてもらえるかどうか、市の担当課の判断で決まりますと言われたことも、あまり信用できないことみたいだ。

おそらく1年もすれば、今までの心理療法担当の方の産休が明けて復職されるだろう。

私がこの施設で心理療法の担当になることは、おそらくないだろう。

 

 

うちの施設始まって以来、施設として初めて人を採用したらしい。

どうりで、何でこの人は本部じゃなくて施設で面接してるんだ?っていう変な雰囲気があったわけだ。

他のスタッフの皆さんは、会社の他の施設(保育園や介護施設など)で働いておられて、急に本部から移動命令が下っている。

まさかこの施設で働くことになるなんて、という方ばかりだ。不本意な移動だったと言われる方も多い。

私がこんな風に楽しんで勤められるとは誰も思っていなかったのかもしれない。どうせすぐに音を上げるだろうと思っていたのかもしれない。

それで、私がだんだん仕事を覚えてきて、仕事仲間として打ち解けてくるにつれて、上司が気にしてくださるようになったのかもしれない。

この人、大人の事情をわかってないアホやぞ、って。

うん、私は大概なアホだと思います。

 

もしかすると、運転免許が無いならうちで働いてもらうことはできませんって言われたのは、施設としては私の採用を見送りたい気持ちが若干あったのかもしれない。

でも本部からは、なんとか免許取ってもらえませんか?と私に言ってこられた。

本部とうちの施設との間で、私の採用にあたって様々なことがすれ違っていた。

アホな私は、わかりました免許取ってきます!と言って頑張って1ヶ月で取ってきたもんだから、施設としては私を不採用にすることができなくなってしまったんだろう。

 

でも、誰も悪くないし、結果、誰も困ってはいないと思う。

 

 

 

生活の大部分がアドラー心理学でない環境に身を置くことになった。

これが私の修行なんだろう。

アドラーを学ぶ多くの人は、みんなアドラーのない世界を知っている。

私は今、多分物心ついて初めて、アドラーのない世界で暮らしている。

 

でもアドラーを知らない人たちがアドラーを知っている人たちよりも付き合いにくい人たちだというわけでは全くないし、

素敵な方たちもたくさんおられる。

ただ、私の異端具合をひしひしと感じるときがある。

そう、価値観が違うからだ。

 

アドラーの共同体に私がきちんとコミットできていないと思えて、劣等の位置に落ちるのは

時々ホームシックにかかるようなものなんだろう。

大学生のひとり暮らしが始まったとき、関西弁が恋しすぎて上方落語をずっと聞いていた時の私と、今の私はよく似ているかもしれない。