今日はカウンセリングでした。
今日も時間切れでエピソード分析最後まで行かず…。申し訳なかったです。
ただし!今日は、お話ししていただいた幾つかのエピソードを、
これは取り扱えないですね、という確認を一緒にしていくことができました。
カウンセリングで扱えるエピソードを理解していくことは、
とても大切な学びだと思います。
それは、とても良かったことだと思います。
それから、今日は私的感覚をなんとか言葉にするところまでは行きました。
ですがもうちょっとぴったりのものにした方がいいと思うので、
次回は、もう一度私的感覚を考えるところからですね。
ご一緒に、ゆっくり言葉を探していくこと、
クライアントさんの大切にされているものを探していくこと、
楽しんでみたいと思います。
時間内にできないのは、私の力不足です。
クライアントさんには申し訳ないけれど、
こうやって修行していくしか上達の道はないと思います。
ご協力くださって、いつもありがとうございます。
今日のことは、適切に落ち込んで、より良いカウンセリングができるように努めます!
明日は今日よりも良いカウンセリングができるように。
アドラー心理学のカウンセリングをできる人は、どれだけいるのでしょうか。
日本アドラー心理学会認定の指導者と心理療法士とカウンセラーは、今現在67人です。
この人数を、多いとみるか少ないとみるか。
野田先生が日本にアドラー心理学を持ち帰られた35年以上前は、野田先生の他には誰もいなかったのです。
そして野田先生が日本アドラー心理学会を設立され、アドラーギルド社を作られて、
現在は野田先生ご自身が最前線に出られなくても、
学会が機能し、
定期的に講座が開講され、新しいカウンセラーを養成するシステムが機能し始めました。
巷ではアドラー心理学でないものがアドラー心理学という名前を騙っていたり、
いろいろな問題はあるけれど、このことは素晴らしいことだと思います。
私たちはアドラー心理学を学び続けることができます。
カウンセラーも心理療法士も、いわば職人なので、
研鑽を怠ると、腕が鈍ります。
駆け出しの職人が熟練の職人にかなわないのも当然のことです。
私は、ある意味で失敗する勇気を持ちながら、
今日よりは良いカウンセリングができるように、場数を踏むことが何より大事だと思います。
そして、学会や講座や自分たちの勉強会で、仲間と共に学び合っています。
私は未熟だけど、未熟だからこそ、今仲間と切磋琢磨することが大事だと思います。
私がよいカウンセラーになりたいのは、私のためではありません。
このクライアントさんのお役に立てるように、というのがまずあります。
ですが、このクライアントさんのためだけでもありません。
私がアドラー心理学の治療という技術を受け継ぎ、
やがては次の世代へと伝承していかなければならない、
そういう歴史的な時間の流れに自分を置いて、考えています。
これはとても恐ろしいことです。
一人で歴史を担うことは膝が震えます。
今、このようなお役目を引き受けておられる先生方のことを思うと、
それがどれほど勇敢なことであるかと思います。
私に今できることは、
とにかく自分の技術を磨くことしかないと思うのです。
このままの私では、まだお役に立てない。
そのことを、感情的でなく、理性的に受け止めたいと思います。
今日もまた理想にほど遠い自分だった。
だけど、できたことも良かったこともたくさんあった。
クライアントさんのおかげで、私も成長させていただいている。
私には、同じように自分の未熟さに直面して、落ち込みながらも、
共に高い理想を目指して学び合う仲間がいます。
私のところで一緒に学ぼうとしてくれる仲間がいます。
野田先生のような存在は、この先は現れないかもしれません。
だけど、私たちは一人ではないから。
先生の知恵を受け継いで、技術を磨いて、心を磨いて、
みんなでアドラー心理学を継いでいこうとしています。
そのことは、もしかしたらアドラーの理想とした共同体のあり方なんじゃないかなって、
私は思うのです。
不完全である勇気を持ちなさいというのは、
劣等感を持つのは人間なのだから当然。
その劣等感の中にうずくまるんじゃなくて、
その劣等感は、輝く理想の反対側にあるだけなのだから、
私たちはその理想に向かって行く限り、お役に立つことができると信じます。
弟子はいつもいつも劣等感を感じながら、師の後を必死に追うのです。
決して師に追いつくことはできないけれど、
仲間の弟子たちと共に歩むことで、その道はきっと拡がっていくのです。