金色のチューリップ

思いの外、肉体労働な毎日を過ごしている。

今週は月曜日と火曜日がオンライン勉強会だった。

 

職場では、新任者は業務に慣れるのは徐々にで良いので、まずは子どもたちと遊んでくださいとのことで、

毎日外に出て、小学生たちとサッカーやキャッチボールやフリスビーやドッヂボールやおにごっこやかくれんぼやバドミントンやかけっこをしている。

私、体育会系じゃないんですけど…

慣れない運動をするもので、毎日足が筋肉痛になって帰宅する。

今日はとうとう帰りに湿布を買った。

お風呂に入ってマッサージをして、湿布を貼ると、かなり痛みは引いた。

こんなに毎日外で遊ぶなんて、小学校4年生以来ぐらいじゃないだろうか?

 

 

遊びの力はすごいなあと実感する。

一度一緒に遊んだら、もう仲間だ。

 

 

ある日、3人でかくれんぼをした。

ふたりでひっついて物陰で息をひそめた。

私「ドキドキするね」

「うん、ドキドキする〜」

私「全然気づいてないね」

「静かに!」

私「はい!」

私たちはただ、ふたりの世界にいた。世界が私たちを隠してくれた。

さっきまで一緒に隠れて、私とふたりの世界を作っていた子が、今私を探している。

まるで違う存在になる。

「みーつけた!」

悔しがったり驚いたり興奮したりするけれど、本当は、お互いにほっとするんだ。

 

「鬼1人なのは怖いから、一緒に鬼やって」とはじめは私に言ってきていた子が、

一緒に遊んでいるうちに、

「今度はひとりで鬼やってみる!」って勇気を持ってくれたのがとても嬉しかった。

 

 

遊びの中で、子どもたちはどんどん成長する。

上手にできないから、と、サッカーやフリスビーに入らなかった子が、

他の子に教えてもらって、ちょっとずつできるようになっていくのが嬉しかった。

次の日は、自分からフリスビーしようって誘ってくれた。

昨日よりずっと上手になってるよ!って、他の子たちが言った。

その全ての瞬間が、とても嬉しい。

みんな、自分より小さい子たちにとても優しい。

お兄さん、優しいね〜と言うと、まぶしそうな顔をした。

 

 

色々な大変なことがあっても、子どもたちはとてもキラキラしている。

どの子も可愛くて、とてもいい子で、素晴らしいストレンクスがある。

このキラキラした子どもたちが、落ち着きがなくてじっとしていられないとか、人の嫌がることばかりするとか、約束が守れないと、書類上では紹介されているのが不思議だ。

ある子はADHDだとか自閉症スペクトラムだとか、療育が必要だとか書かれているけれど、

支配的な大人の対応がまずいのだろう。ただそれだけに違いないと思えてしまう。

確かに、不適切な行動をしやすい傾向はある。

でもそれは、これまでの大人たちの対応のまずさのせいだ。

不適切な行動によって注目関心を引くためなのだから。

適切な行動にいつも正の注目をしていれば、不適切な行動をする必要がなくなる。

 

子どもたちはとても賢いし、大人をよく観察している。

支配的な大人には絶対に自分からは近づこうとしない。

そういう大人が向こうから近づいてくるときは、心を閉ざす音が聞こえる。

全く違う人物のような表情になる。

 

病気の子も、障害のある子も、元気の良すぎる子も、色々な子たちがいるけれど、

私が「新しく入ってきました。色々教えてください。よろしくお願いします!」と挨拶すると、

みんな丁寧にお話ししてくれる。

「よろしくお願いします!」と、にこにこお辞儀してくれたりする。

「私はこう見えてできることもたくさんあるので、どうしても必要なことだけ手伝ってもらえますか」と言ってくれたりする。

私たちは同じ人間だ。

人間として扱われるととても嬉しくて安らぐし、人間として扱われなければ、悔しくて耐えられない。

 

 

よごとだけを書きたいと思っているけれど…

職場のスタッフはほとんどの方が、子どもたちととても良い関係を築いておられる。

素敵な対応をしておられる。

でもわずかに、裏表があったりひどく支配的だったりする人もいて、そういう人が子どもたちへ様々なレッテルを貼ることが、苦しい。

この子たちは今後もそういうレッテルを否が応でも貼られてしまうことがあるだろう。

そのことで彼らは潰れてしまったりはしないと思うけれど、強くたくましい子たちだから大丈夫だと思うけれど、私はそれがたまらなく悔しくて苦しい。

私の子どもたち、ときには彼らよりももっとずっと不適切な行動をすることがあるけれど、彼らのようにすぐにレッテルを貼られることはないのだ。おかしな話だ。

誰だって不当なレッテルを貼られて、人間らしい扱いをされなければ、反抗的になったり不服従的になったりするだろう。

それは健康な精神が、誇りがあるからだ。

それを困った子と認識されてしまうのが、やりきれない。

 

でも、少なくともこの職場は、どんどん変化してきているようだ。

ここ1、2年でスタッフの大半が入れ替わり、良いスタッフがたくさん入ってきた。

子どもの支援計画を見ると、ここ1、2年で良い効果が出てきているらしい。

最も大切なことは、子どもと対等で平等な関係を築くことだと思う。

パセージを知らなくても、それができる方はたくさんおられるのだと知れた。

 

 

 

 

ある日、部屋で折り紙をした。

「何になると思う〜?」って嬉しそうに折りながら、

私に、「端からクルクル丸めてちょうだい」と言った。

「わかりました〜」と言って、私は細い筒を作った。

セロハンテープでそれらをくっつけると、「これあげる!」と言った。

金色のチューリップだった。

まだ字も書けない彼女の、気持ちがこもっているものだと感じた。

 

次の出勤日、木目のペン立てを買ってきた私は、そこに金色のチューリップを挿した。

私のデスクには決して枯れない花が咲いている。