曇天の桜

今日は来月の準備をしていた。

職場に提出用の書類を記入したり、

週末来る食べ盛りの子どもたちのための食材を買い出しに行ったり、

来月に迫った資格試験の勉強をしたり。

午前の遅い時間に起きてから、夜ご飯を作って食べるまではずっと何かしらの用事をしていた。

 

勉強している間は音楽をかけていた。

料理中も音楽をかけていた。

聞いている音楽は全然違うものだ。

かける音楽によって、私のムードは変わる。お手軽なものだ。

集中しているときは、音が聞こえなくなる。

聞こえなくなるぐらいに集中できている状態を私は理想としている。

まるで何のための音楽なのかよくわからないけれど。

 

そういえば最近、歩くときに音楽を聴くことがなくなった。

 

そういえば寝るときに音楽をかけることもない。

そうだ、大学生のひとり暮らし時代は、ずっと音楽をかけていたのに。

寂しさを紛らすための音楽は、私にはもう要らなくなったんだ。

 

 

 

面倒な書類の準備が終わって、気分転換も兼ねて買い出しに行く途中、

厚い灰色の雲から小雨が降り出した。

まだ肌寒い。上着のファスナーを閉めた。

桜がうっすらと開いてきた。灰色の雲のようにまだ淡い。

なんて寂しいんだろう。

でも、私はなんていい人生を送っているんだろう。

不思議と、そう思えた。

会いたい人がたくさんいる。そしてその人たちはきっと、私に会いたいと思ってくれている。

今は会えなくても、また会えると信じて生きていられること、それは幸せだと思う。

 

 

川沿いの桜並木が綺麗なんですよ、と、ある人に言ったとき、

その桜を見ることは、数えられるんだよ。1回1回、数えてしまえるんだよ。

その1回1回は、ほんとにかけがえないと思うんだよ、と言われた。

あれからもう8回目ぐらいの桜だ。

 

 

私の前には選択肢がいつも無数にある。

ここに暮らすことを選んだのは、確かに私の決めたことだ。

今私はそのことを確信を持って、そして誇らしく言える。

この寂しい人生を私は選んだ。

母と暮らすことも選べたし、

仲間のところで働くことも選べたし、

子どもたちと元夫と暮らし続けることも選べた。

でも私はそのどれもを選ばずに、今は、ひとりでここに暮らすことを選んだのだ。

週末に子どもたちがやって来る、友だちたちの近くの家でのひとり暮らし。

ご縁のあったハードモードな仕事も選んだ。

 

 

いつか慌ただしく買い物に行く途中に、あの桜が目に留まるとき、

あの3月の最後の日に、仕事の始まる前の日に、

私は寂しくていい人生を選んだなってため息をついたことを思い出すだろう。

そのときはきっと、人に会えない毎日が寂しいなんて思っていた日々を、少し懐かしく思うだろう。

明日から、ひとりきりにはしてもらえない仕事が始まる。