新しい日常

水曜日から泊まりに来ていた子どもたちが今晩の20時前に帰っていった。

 

元夫は私のPCの不具合を直してくれていて、どうもうまくいかないからと、

子どもたちを車で連れて帰るときに別のPCを持ってきてくれた。

今まで使っていたものが大変古かったので、色々なソフトが入らなかったらしい。

いつ頃からかこのブログも開けなくなっていたし。

今日からこの新しいPCが私の相棒となる。

今、久しぶりにブログをPCで書いている。

たいへんに賢い相棒だ。ありがたい。

これで私の環境は全て整ったと思う。

 

元夫は大変に優しく、面倒見の良い人だ。

私のわがままをほとんどの場合許容してくれ、私に協力してしてくれている。

子どもたちのことについてはこれからもお世話になるし、互いに相談しながら協力していくことになる。

かたちは変わっても、良い関係を作っていきたいと思っている。

 

 

子どもたちが帰ってしまうと、狭かったアパートが急にだだっ広くなる。

少し寂しくて音楽をかけた。

 

今回の旅行中、というか彼らの滞在中、

私には珍しく、写真に撮られることを大事にした。

私と同じく写真に撮られることを嫌う長男が、彼の父からカメラをもらって、

「お母さん、一緒に写真撮ろう!僕、セルフタイマーマスターしたから!」

と、やって来たその晩に言ってくれた。

3人で写真を撮った。

私たちにとって、一緒に過ごす時間は限られた時間になった。

いや、本当は、同じ家に暮らしていたって同じなのだ。

ただその日常が他の選択のない当たり前に思えているだけで、

いつだって一緒に過ごせる時間は限られている。

彼らが子どもでいられる時間はあとわずかだ。

そのことに気づきながら、今を大事にしようと思えるようになって

その表れが、私たちにとっては写真を撮るという行動だった。

 

撮ったら撮りっぱなしというのが常だったけれど、

今日、長男の撮った写真から良いのを選んでプリントアウトしてみた。

そしてアルバムに入れてみた。

子どもたちが喜んで跳ねていた。

 

プリンターも使いこなせるようになってきた。

機械はとても苦手だけれど、もう誰かを頼っているわけにはいかない。

面倒くさがらずに写真を整理できるようになった。これは私の成長だ。

残っていく写真に安心するのは、けれど、

またひとつの執着だ。

私は写真を眺めていると、時間の経つのを忘れてしまうから。

今が今しかないのは同じだ。

写真に残しても、その時間を留められるわけではない。

一番大事な時間は、やっぱり写真に撮りたくないと思う。

そう思いながらも、写真を撮るということも選択肢に入れられるようになった。

 

今までよりは面倒くさがらずに、細々とした仕事もできるような日常にしていきたいと思った。

ひとり暮らしだから。私はどこまでも怠惰になれるから。