ABC

昨日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会、

今日は自助グループだった。

 

自助グループの雰囲気は、先輩リーダーたちのグループの中に入って、見て聞いて、質問して、見取稽古をつけてもらったりして、身につけていくものだと思う。

雰囲気は言語化しにくいものだけれど、リーダーが制御できるものであるから、

つまりある種の技術であるから、必ず言語化することができるものだろうと思う。

私はようやくアドラー心理学のグループセラピーを行えるようになったと思うけれど、

何がアドラー心理学のグループセラピーの特徴であるのか、まだ言語化はできていない。

言葉だけで学ぶことはできないけれど、言葉に表していくことも必要だと思う。

次の世代に、確かにアドラー心理学を残していくために。

言葉を磨かなければいけないなと、思っている。

 

 

資格試験用の教材は、3種類の会社が出している物を併用して勉強をしている。

1つは2周目が終わり、1つは1周目が終わり、1つは半分まで終わった。

会社が違うと重点が少しずつ違うのだけれど、重きを置いているところが重なっているところが、最重要ポイントということになる。

そうやって浅い理解を積み重ねていくうちに、だんだんと内容が馴染みになってきた。

整理できていない箇所が特定できるようになってきた。

…私はけっこう真面目かもしれない。

 

試験勉強は昔から苦手で嫌いなのだけれど、ある意味で頭を使わない勉強なのだなあと実感している。

自分で考えたらいけない種類の勉強なのだ。

この名称でこの内容は不適切でしょう、とか考え始めると、知識が整理できなくなる。

書かれていることを、そのまま正確に理解して記憶することが求められている。

だからある意味で、バカにならないと試験には受からない。

楽器の練習もそうだった。まずはバカになってやってみろって指導された。

考えるのは、その後だって。

基礎的な楽器の鳴らし方が身についてから、表現を考えるのだって。

いつも私は同じところで苦労している。

バカになる根性と根気が足りない。

 

 

長男はとても賢くて、色々考えて色々な工夫をする人ではあるけれど、

バカになって根気よく訓練することも厭わない人である。

ドイツ語勉強したいなって言っていたので、先週の日曜日にドイツ語の初歩的な参考書を貸してあげた。

彼らの父親が迎えに来るまで、一緒に参考書を読んでいたのだけど、彼の勉強の仕方から、私は本当に多くのことを学ばせてもらった。

 

まず、1ページ目の1文字目から、彼は丁寧に読んでいく。

アルファベットの読み方である。

そんなんどうでもええやろ、内容はまだか、と私は飛ばしたくなるページである。

でも彼は、「ヘえ〜、Jはイェットって読むんだ〜。Yはイプシロン?面白いな〜」って、

AからZまでたどたどしく発音しながら、とても面白そうにしている。

特殊な発音(ウムラウト)のページは、「ウの口をしてイ?ゆぃ〜?ゆぃー?あはは」って、

楽しそうに発音している。

 

新しいことに触れるということが、この人は本当に楽しいんだなって思った。

上手く発音しようとか、正確に覚えようとか、そういう私の手放せない「すべき」という意識が、彼には全くない。

もちろんドイツ語なんて彼は勉強する必要もないのだから「すべき」にとらわれないのは当然ではあるのだけど、

彼の勉強の姿勢は、いつも、「へえ〜面白い。ねえお母さん、これ見て、面白いよ!」だった。

私はいつも上手くやろうという方に意識が行ってしまって、素直に新しいことを学ぶという楽しさを味わっていなかったかもしれない。

 

発音のルールのところで、やっと単語が出てくると、

これは英語に似てるね、など言って、これまでの知識に結び付けながら、ひとつひとつの単語を発音していた。

「君5年生だよね…英単語もよく知ってるねえ…」

「学校で習ってますから。」

小さい字で注釈として書いてある説明も、飛ばさずにすべて読んでいく。

「ふんふん、そうなんだ〜。うーん、これはどういうことなのかなあ〜」と、わからないところはわからないこととしてカテゴライズしているようだった。

今すぐに理解してしまわなくてもいい。後で出てきたときに、もう一度戻れるようにしておけばいい。

そういう参照の技術が上手だから、効率的に覚えることができるのだろう。

 

それから、こういった技術習得系のテキストというのは、順を追って習得しやすいように工夫されているものである。

その順番通りに、素直にテキストを読んでいくということが、学習者の姿勢として理想的なのだろうなと思った。

1周目は分からなくてもいいのだ。浅い理解でもかまわない。

順番通りに焦らず進んでいけば、2周目にはもう少し無理なく理解できるようになる。

そうだ、私は部分部分で深い理解ができることがあるけれど、技術習得は、無理なく、ムラなく、継続して、が大事だ。

長男は本当に勉強するのが上手だと思う。

学び方は、彼に学ぼうと決めた。

 

 

今日来てくれるなり、「お母さん、ドイツ語の本ありがとう!面白いよ」と言ってくれた。

自分で読み進めているらしい。

彼の説明は大変わかりやすいので、もう少しすれば私は長男からドイツ語を習うことになるだろう。

共に学ぶ仲間がいるということは、とても心強い。

一歩ずつ、丁寧に、素直に、学んでいこう。