ウクライナについての情報を。
【ウクライナ侵攻】背後で暗躍する「黒幕」の正体【WiLL増刊号】 - YouTube
月刊WiLL増刊号で、ジャーナリストの山口敬之さんがお話しされている。
プーチンが正常な判断ができない状態だという説が巷では一般論になっているそうだが(私はテレビを見ていないので知らないけれど)、
だからロシアのことはどうにもできない、予測ができない、と、
ロシアを分析することを放棄するよう結論づけることによって、利益を得る人々がいる、とお話しされている。
私たちはまだ緊急事態ではない立場にいるのだから、冷静に、様々なことを分析して考えていかなければならないと思う、というご意見に私は賛成する。
詳しいことは私にはわからないが、私たちが見聞きする情報が非常に偏っていることはわかる。
完全な作り物ではないかもしれないが、事実のある部分が抜かれているものが多いだろう。
あるいは事実と事実の間の論理が、脚色されているものが多いだろう。
あるいは背景で起こっていることを塗りつぶして、ある事実だけを取り出しているものが多いだろう。
出来事(エピソード)というのは、全体の中に埋め込まれて意味を持つ。
だから、その取り出し方、扱い方、語り方次第で、異なる意味づけができる。事実から離れたストーリーに脚色することができる。
山口さんは多くの大手マスコミから一生懸命に潰そうとされている人だ。
山口さんの発信する情報が、大手マスコミの伏せている情報であることが多いので、非常に都合の悪い存在であるということ、かえってそれが山口さんの情報の信憑性を高めているように私には思える。
数年前のスキャンダル事件についても、未だ決着が着かず、山口さん側が名誉毀損でまた上告したそうだ。
私は判官贔屓ではないけれど、新しい視点を含んでいて、左翼的な右にならえの論調に異を唱え、確かにそうだなと思えるようなことを言う人たちが、些細なことでマスコミや政治家、言論人から大バッシングされることが多い。
政治家の杉田水脈さん、国際経済アナリストの深田萌絵さんなどもそうだ。
【岩田温】橋下徹と玉川徹はロシアの代弁者か【WiLL増刊号】 - YouTube
政治学者の岩田温さんも、大学の中で生き残るのに苦労しておられる。
ロシアや中国のような共産主義的全体主義的国家を、日本と同じような民主主義的政治を行う国家と同じように考えているところが間違いの元なのだろうと思う。
共産主義や全体主義とはどういうことなのか、歴史に学ばなければならない。
岩田温さんは様々な動画で共産党の恐怖についてお話しされているが、例えばこれもわかりやすいと思う。
豹変した田村智子氏、ウクライナに防弾チョッキ供与「賛意」から一転!!!日本共産党の本性 。党員は絶対服従が原則??(22/3/7) - YouTube
後半、ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』について言及されている。
国家の政治体制、政治方針、政策遂行についてというのは、かなりメタな論理階型にあるのだと思う。
地域での状況がどうなっているかというのは、それよりも低い論理階型にあるだろう。
ひとりひとりがどのような体験をしたかというのは、さらに低い論理階型にあるだろう。
以前も紹介した在日ロシア人のタレント、小原ブラスさんがABEMAニュースに出演して、ロシアの情報をわかりやすくお話しされていた。
また、在露日本人ジャーナリストの徳山あすかさんも、非常に危険な状況の中、言葉を選びながらロシアの人たちの様子をお話しされていた。
彼らの話は、論理階型でいうと低い、現場に近いところの話だと思う。
それを、その情報を元に一足跳びにか二足跳びにか、ロシアの政治はどうすべきか、とか、ロシア国民としてはどうすべきか、と論じてしまうことが、論理階型の混同という問題なのだと思う。
そのABEMAニュースの動画については、たいへんたくさんの論理階型の混同が起こっていて、こうやって過激な世論が作られていくのかということは学べたが、私は噛み合わない議論に疲れたので紹介はしない。(YouTubeでは3/6に配信されている。)
ブラスさんと徳山さんの情報はとても貴重だった。
私たちがあまりに国際政治について、いや、政治体制について、つまり共産主義や全体主義や民主主義について無知すぎる、という恐ろしさを感じた。
ひとりひとりの体験は現場に近い、低い論理階型にあると思うけれど、
ひとりひとりの考えたこと、それを昇華させた思想については、これは、政治体制よりももっと上の論理階型にあるのではないかと思う。
ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』についての岩田温さんのお話しを聞きながら思った。
命令に絶対に従うということが善であるならば、ユダヤ人虐殺の命令に従うことは良心に呵責なく行える、ということが命題と言えるだろう。
これは自由の問題だと思う。
共同体感覚をどうとらえるかということにも大きく関わる。
今はまだ言葉にまとまらない。
まだお元気だった野田先生と、私が最後にテーブルでお話ししたとき、話題はハンナ・アーレントについてだった。
「アーレントは、読んでいるとお腹が痛くなるんですよ。あまりにその通りすぎて。胃が痛む。」
そう仰いながら、私が買ってきたばかりのアーレントの『責任と判断』を、ぱらぱらと読み始められた。
私がアドラー心理学を学ぼうと思ったのは、アドラーの思想のみが、現代の問題の閉塞状態を脱することができると感じたからだった。
野田先生のアドラー心理学基礎講座理論編を受講した、2013年11月だった。
共同体感覚という思想が、この闇を照らしていると思う。
今も、そう信じている。
アーレントはきっとアドラーを、その思想を、知らなかっただろう。
私の力はあまりに弱いけれど、私は知っている。
そして私は生きている。
だから今、私にはできることがある。