気分は落ち込みがちだが、毎晩のようにオンライン勉強会をしている。
来週の勉強会用の資料も作成中。
昔から落ち込むと、何かしら映画やドラマやMVや落語や漫才や本などの娯楽に頼って、元気になるのを待っていた。
今回は、MIKEYに助けられた。
MIKEYは東京ゲゲゲイの振付師とダンスとボーカルで、前から凄い人だなあと思っていたんだけど、
いろんな曲のカバーの動画をYouTubeにアップしているのを見つけて驚愕した。
カバーする曲の幅が広すぎた。
水戸黄門、テレサ・テン、中森明菜、クリスティーナ・アギレラ、アラジンのA Whole New World など。
変な曲も知ってしまって、久しぶりに爆笑させてもらった。
編曲、アレンジと歌唱力と音域の広さなどの芸達者さと、やっぱりダンスも凄かった。
映像の編集もご自分でしているらしい。どこまで多才なんだろうか。
(ちなみに東京ゲゲゲイのMVはダンスがものすごくかっこいいけれど、ホラーテイスト?のが多めです。苦手な人も多そう。)
この人を見ていると、女性性や男性性って何なんだろうかと思う。
東京ゲゲゲイでは、MIKEY以外の4人は女性だが、
5人で踊っている時、私にはどうしても女性5人に見える。
女性らしさというのは型なのだろうと思う。
バルプ・フィクションという映画のジョン・トラボルタが男性的で(退廃的で)好きなのだけど、
そのジョン・トラボルタがヘアー・スプレーという映画で中年女性役(ヒロインのママ役)をやっていて、めっちゃくちゃ可愛い。
女性らしさは型だ。
身体の動かし方、表情の作り方。
もちろんヘアメイクや衣装という力も大きいけれど、男性的男性から女性的女性への振り幅の大きさは、
当人の身体の制御が一番大きく関与していると思う。
MIKEYは男装で踊ったり歌ったりすることもあり、女装のときとまったく別人に見える。
恐ろしく観察力の鋭い人なんだろうと思う。
それだけの観察力、それも自分に向かう観察力を備えているということは辛いことも多いだろうと思うけれど。
そして身体の制御に長けているのだろうと思う。
足のつま先から、指の先まで、髪の毛の先まで、完全にコントロールしているように見える。
私は女性性が希薄だし、身体の制御も大変苦手だ。
パセージリーダーやカウンセラーになるための修行で、苦労したうちの一つは身体の制御だった。
身体の向き、姿勢、動き、目線、表情(笑顔!)…
そういえば、目力を弱めた方がいいと先輩にアドバイスされて、一体どうすれば…と困惑したりもした 笑
今は目力の制御も少しはできるようになった、と思うけど。
そうだ、MIKEYの目力は凄い。
漫画「パタリロ」に出てくるバンコランのように、目から光線が出されているような時がある。
(通じにくい例えかもしれない。)
MIKEYのカバーで一番気に入ったのは、クリスティーナ・アギレラの「Falsas Esperanzas」だった。
元の曲もかっこいいけれど、ものすごくかっこいい。
60年代のサイケデリックな雰囲気でとても好きだ。アンディ・ウォーホルのようなコラージュの感じが好きだ。
パルプ・フィクションの世界観にも通じる。
私の趣味はあまり洗練されたものではなく、けっこう悪趣味なのだ。
悪いことや規則違反が大嫌いなくせに、クラシックや古典が好きな割りに、
ドラッグ文化とかローリング・ストーンズとかゲイ文化とか、カウンターカルチャーに魅かれる。
音楽も美術も、私は雑食だ。