今日はコーラスの練習があっただけだった。
『フランス革命の省察』のレジュメをまとめていた。
私は保守主義という立場に立っている。
アドラーもそうだった。
野田先生もそうだった。
私はもともと農学を学ぶ立場から、保守主義に立っていた。
もともと国家の安全保障というものに関心があった。
食料生産と流通において、急進主義、革新派の考え方はひじょうに危険である。
今まで培われてきた、地味で、ある面で非効率的なルートが、
もっとも確実に人々のもとへ食べ物を届けることができるからだ。
人間は世界全体の部分しか知り得ないと思う。
だけどその知り得る部分の自分の持ち場だけ守っておれば、なぜか持続的に動くシステムというのがあって、
それは人為的に理屈で整理整頓してしまうと、バランスを崩してしまうものだろうと私は思っている。
そして、もっと大きな政治も経済も、おそらくそのように動くのだろうと私は思っている。
いったい幾つのペルソナが私にはあるのだろうかと興味深く思う。
ペルソナ理論は野田先生が試作されたものだが、後に問題点を提示しておられるものだ。
どういう点について問題があるのかについては、今、仲間とオンライン勉強会で論文を読み込んで学んでいるところ。
ただ、ペルソナというものは使い勝手はけっこういい。
私の場合、好む音楽が変わるので自覚しやすい。
『フランス革命の省察』など、武器としての思想についてレジュメを書くときは、クラシックが心地いい。
今日はモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」を聴いていた。
野田先生の論文のレジュメを作るときは、なぜかアップテンポの曲がいい。
先日準備していたときは、東京ゲゲゲイを聴いていた。
(野田先生、ご趣味じゃないでしょうね。びっくりしておられたらごめんなさい 笑)
このブログを書くときは、川谷絵音の曲を色々聴いている。
食器を洗うときは、最近は昭和の懐メロが多い。
沢田研二とか山口百恵とか石川さゆりとか。
料理をするときは、椎名林檎が多い。
シンポジウムの原稿を書くときや書評を書くときなど、公の原稿仕事はLADY GAGAで、
シンポジウムのスライドを作るときはレキシだ。
どうなってるのかよくわからない。
が、気分やペルソナによって、まったく好む音楽が違うのは確かだ。
まだ野田先生の講演を聴くことはできないでいる。
私にはもう少し時間が必要なようだ。