変化

今日は絶対的休日。夜にチベット仏教のオンライン勉強会があった。

 

今日はほとんど一日中、泥のように眠っていた。

ほとんど眠っていた割に、色々とぶらさげていたことの考えは深まった気がする。

ベイトソンの論理階型の話は、たいへん助かっている。

論理階型の混乱だとわかることや、どのレベルで考えればいいのかと考えることで、

私の限られた容量の頭の中の、よけいな容量を使わないですむことが増えた。

そのおかげで、論理階型の問題でない問題について、容量を使えるようになった。

 

 

それから私の最近の変化としては、身体や感情で世界を感じようと努めている。

かなり長い間、世界から距離を置いて、よく頭で濾過してから、身体や感情を浸してみるという感じだったのだけど

勇気を持って、そのままの世界に浸かってみようと努めている。

身体を動かすということに意識を向けるようになった。

私の身体はこうだったのかと、長年使ってきたが今更驚いたりしている。

 

声も、表情も、目線の配り方も、ボディランゲージも、

パセージでもカウンセリングでも、身体の使い方については色々と学んできた。

でも私はかなり苦手だった。

自分の身体に劣等感があるものだから、なるべく自分の身体や声を意識しないで生きてきた。

でもカウンセラーになるためにはそうも言ってられないという状況になり、

自分の身体の制御ということにも意識を向けるようになった。

ただし、それはどちらかというと動きを止める方向性だった。

今は、積極的に身体を動かす方向性で、私は自分の身体を意識し始めている。

 

 

身体に意識を向けるきっかけは、五体投地だったと思う。

他人に通じにくい話題ではあるが、仕方がない。

毎日少しずつ続けられている。筋肉痛も全然なくなった。

肩や手足、腹筋背筋の様子が変わってきた。

今まで私は本当に運動をしたことがない。歩いていただけだ。

長男に、なんか最近お母さん姿勢が良くなったねと言われて、

やっぱり外から見ても変化があるのだと知った。

 

心を鍛えるように、身体も鍛えよう。

私が人々のお役に立てられるように、この身体を上手に使おうと思う。