シナリオ

今日はカウンセリングと、夜はオンライン勉強会だった。

 

次々と予想外のことが起こる。
良いことも、良くないことも。
昨年の10月頃から、自分の置かれている状況を振り返る機会が多い。
誰かが私の人生の台本を書いているのかなと思うぐらい、
様々な伏線が回収されたり、次の決断への手がかりになっていたり、
まだまだ見つからないミッシングピースに気づいたり、
すごく面白い。
運命に翻弄されているなんていう消極的な考え方はつまらない。
誰かが書いているとしても、なかなかいい台本じゃないかと思う。


私は楽器は下手くそだったが、舞台人ではあると思う。
小学校の時は演劇部だった。
演技指導などほぼ受けたことがないので、私は演技も下手くそだ。
でも、私はいつも何かを演じている。
パセージリーダーはなんとか板についてきた。カウンセラーはようやく様になってきたか。
人前で発表するのは嫌いではない。
母親だってママ友だって、素の自分ではいられない役割だ。
場面にふさわしい様々なペルソナを使いこなして、私はちゃんとした社会人をやっているんだと思う。

そういうオンモードのペルソナたちを横に置いて、
オフモードのペルソナでもおつきあいできる仲間たちが増えてきたことも、嬉しい。
いつもいつも勉強しているわけではなくて、勉強もする仲間と、たまには息抜きのおしゃべりもする。

 

野田先生は、ゲームは真剣に、でも深刻にならないで楽しむのがコツだと仰った。
また、人生は芝居だとも仰った。
本当にそうだなあと思う。
しょせん人生はゲームだ。
阪神大震災の日に、瓦礫に埋もれて消えていたかもしれない命だ。
私はそして今日も生き延びた。


こうやって野田先生曰くとばかり言っていると、野田先生の信者だと揶揄される。
だけど私を作っているのは言葉だ。
もう会えない師匠の残してくれたのは言葉だけ。
その言葉を、私は生涯かけて理解しようとしている。
きっと理解し尽くすことなんてできない。
あまりにたくさんの宿題が残っている。そしてそれをありがたく思う。


師匠のいる人生を生きられることは幸せだ。
弟子として共に学ぶ仲間のいる人生を生きられることは幸せだ。
私が学んでいることを誰かのお役に立てられる人生を生きられることは幸せだ。
私には制御できない大きな出来事が、タスクが、どれだけふりかかってきても、
私はそれを引き受けて生きていこうと思う。
なぜなら、私は私という役者を動かせる唯一の身体だから。
この役を十分に演じきってみたい。
たとえ誰かが書いているとしても、この台本は素敵なものだと思うから。