美は細部に

今日はコーラスの練習と、ベイトソンのオンライン勉強会でした。


コーラスの練習は、教会でしています。
賛美歌を歌うように設計されているので、教会の中はとてもよく声が響きます。
フェルマータで伸ばすのか、スタッカートで弾ませるのか。
その最後の音の処理によって全然響き方が変わります。
その差異が、とても大切だと思います。
作曲家が理想とした音楽を、私たちは追いかけていると思うのです。
小さな曲も、作曲家によって細部までデザインされているのです。


形容詞なのか名詞なのか。
それは、何について語っているかは同じであっても、
文章の意味そのものを変えていく差異なのかもしれません。
作者が伝えようとしたものを、私たちは受け取ろうとしています。
従来の無意識的な前提を突き崩して、新しい発想を、凝った手口で演出するベイトソンの本です。
私たちはアドラーという「かのように」を駆使した天才の力を借りながら、
ベイトソンの描こうとした理想を追いかけていると思うのです。
大著も、作者によって細部までデザインされているのです。


私はいつも同じことを楽しむようです。
新しい世界が拓けていくことが、何より感じていたいことなのです。
他にそれ以上の価値を見出せないのです。
音楽も、本を読むことも、私にとっては大切なことでした。
でも、ひとりですることだと思い込んでいたのでしょう。
違いますね。
音楽は人と人を結びつけるものです。ひとりでは決して完成できないものです。
同じように、本を読み解くことも、ひとりではできないことなのでしょう。
仲間と共にする冒険なのです。決して到達しない理想を求めて。


パターンとパターンを結びつけるパターン。
これがそのうちのひとつの、私の実感する例です。