離れていても

今日はオンライン抄読会だった。

 

大学時代からの友人と、今はアドラー心理学も一緒に学ぶようになっている。

私がアドラー心理学の考え方からものをみるようになるずっと以前から、

友人とは様々なことについて話してきたけれど

今はお互いにアドラー心理学の、そしてベイトソンの考え方からものをみるようになった。

 

お互いの実践できているところ、

相手役のよいところ、

より実践できるような代替案、

結局、話はそういう内容になる。

そして向かうべき先にはいつも、自己執着を捨てて共同体感覚の実現がある、という結論が出る。

 

自分の事例、家族のこと、友人のこと、どんな話をしても、

私たちは変わらずいつも楽しくて、時間を忘れてしまうのだけど、

今は新しい法則を探す遊びではなく、アドラーベイトソンの法則に当てはめていく遊びをしている。

そうすると複雑にからまったものが、おそろしくシンプルに見える。

そして、より良い物語へと変えていくために、自分にできることは何かを考えることができる。

 

 

私たちはいつもそんな話をしている。

話すたび話すたび、様々なことが繋がっていく。

そしてお互いのこと、より理解し合っていく。

どこまでいってもわかり合うことはないだろうけれど、わかり合えたらいいなと思いながら、

お互いに言葉を尽くしていっている。

お互いに成長し合っていることを、何よりも嬉しく感じている。