裸足の冒険

今日はコーラスの練習と、突然の仕事の打ち合わせと、ベイトソンのオンライン勉強会だった。

 

ベイトソンの勉強会はとっても難しいけれど、

「ストカスティック」に仲間と学んでいけることがとても楽しい。

私はいつも、どの瞬間も成長していたい。

学ぶことの楽しさは、冒険の楽しさだ。

知らない世界が広がっていく。

進んでいくほどに、もっともっと知らない世界が広がっていく。

そして今まで重ねてきた体験が、知識が、知恵が、知らない世界を切り拓いていくことに活かされていく。

私の成長が、そのまま冒険でもあり、冒険を続ける力になる。

 

 

 

私はアンデルセンの『雪の女王』が小さい頃から大好きだ。

(好きすぎて、「アナと雪の女王」を観る気になれないぐらいである。)

雪の女王にさらわれたカイを、ゲルダが助けに行くという物語である。

 

カイは男の子。ゲルダは女の子。

ここが多くの物語との大きな差異である。

たいていさらわれるのはお姫さま、救いに行くのは無謀な男と相場が決まっている。

私はカイを救いに出かけるゲルダに自分を同化させ、

男の子になれない自分を、何者にもなれない自分を、勇気づけていたのだろう。

 

ゲルダは小さな女の子である。

しかも何も持たずに、裸足で、雪と氷の国までたった1人で冒険する。

何ができるわけでもない。何の力もない。

ただ、私の大好きなカイを知りませんかと、出会う人々、出会う生き物たちに尋ねて歩いていく。

不思議な力とたくさんの人たち生き物たちが、なぜかゲルダに力を貸す。

薔薇の花に希望をもらい、カラスに案内され、王女と王子に馬車とマフとを与えられ、山賊の娘に救われ、トナカイの背に乗って、ラップランドのおばさまたちに助言され、

そして雪の女王の城にたどりつく。

氷のようになってしまったカイの心を、ゲルダの涙が溶かす。

 

 

唯一自分が持っていた靴さえ、川に投げてよこしてしまうような愚か者だ。

誰もが雪の女王からカイを救い出すなんて不可能だと思っても、

どんな状況であっても、その目標を頑なに信じ続け、歩き続ける。

そんなゲルダに力を貸す人が必ず現れる。

私は今日、ゲルダのことを思い出した。

 

 

私は何者かになりたかった。

それは優越性の目標の追求だったんだろう。

私は何の力も持っていない、役立たずの女の子でいたくなかった。

でも、私は今も、きっと何の力もなくて、役立たずなんだろう。

私にはただ、追い求める理想だけがある。

 

私も、運命という川の流れに靴を投げてよこそう。

何もかも執着を捨てたら、きっと、目標に続く道が拓ける。

私の力ではなく、私に力を貸してくださる方々によって、道が拓けていく。

私はそう信じてしまっている。

本当に多くの方に助けていただいている。

私には、これらのご恩にお返しをすることは一生できないと思う。

 

この物語で生きて行こう。

願わくば、誰かの力に、私もなれるように。