緑と黄色のキャッツアイ

今日は午前中パセージ第1章だった。

昼はたくさん昼寝した。

夕方からはベイトソンのオンライン勉強会のレジュメを作り上げて、提出した。

1日よく働いた



ベイトソンの文章は次々と新しい物事と結びついていくので、

ベイトソンぐらいに博識でない場合、ひとつひとつの具体例として挙げられる物事を知る必要がある。

そうでなければ、ベイトソンが言わんとしていること、物事に託して語らせていることをまったく読み違えてしまう可能性がある。


たとえば「キャッツアイの指輪」という例が出てくる。

日本人であれば、キャッツアイの指輪といえば、

たいへん高価な、黄色の、ネコの目のように縦に光の筋の入った、丸みを帯びた宝石を思い浮かべるのではないだろうか。

私もそうイメージして読んでいた。

でも、どうもおかしい。

「緑色」って書いてある。

しかも「熱帯のカタツムリの癬蓋(せんがい)」って書いてある。

「裏側が渦巻き」って書いてある。

意味不明だった。

ということは、世の中には私の知らない「キャッツアイ」という、指輪にできるような綺麗な固いものがあるということらしい。


ネットサーフィンをしたら、ある種の巻貝の蓋が「キャッツアイ」とよばれているらしく、

その「キャッツアイ」販売しているHPで写真を見つけた。

貝殻の真ん中部分が深い緑で、ピカピカに輝いていて、確かにネコの目のようだ。

暗いところでの丸いネコの目だ。

お値段は10個で430円!


知ったかぶりして、黄色い宝石のキャッツアイが貝殻でできているとか、宝石のキャッツアイには緑色もあるとか、思い込まないでよかった…

よく知られている方のキャッツアイは、主成分はコランダムだそうで、ルビーやサファイアの成分と同じだ。



たった2、3行の文章を読んだだけで、一事が万事、このように知らない世界の入り口で置いてきぼりをくらう。

ベイトソンはひとりで、ほらこれとこれも結びつくでしょ、そしてこれとこれはこういう風に結びつくでしょ、と列挙しまくる。

流れに乗ると、展開が面白いのでどんどん読めてしまうのだが、私はきちんと理解はできていないのだろう。

いざ自分の担当のレジュメを作ろうとすると、何も説明できない自分に気づいた。


いちいちについて調べてレジュメを作ってみても、ベイトソンの言う意味を理解することにはほど遠い。

…学ぶとはそういうことだ。

何かを理解すること、わかることは、なかなか到達できない



パセージは、提案であって教科書ではない。

リーダーはガイドであって教師ではない。

初めてアドラー心理学やパセージに出会った人は、その独特の言葉の使い方などに慣れるまで、時間がかかるかもしれない。

私が黄色い宝石のキャッツアイと緑の巻貝のキャッツアイを混同してしまったように、

勇気づけることと相手の気分を良くすることを混同してしまうのかもしれない。

それは大いにあり得ることだ。

みんなで一緒に、勇気づけるってどんなことなんでしょうねって話し合ったり、

事例を考えたりロールプレイをしたりするうちに、

あれ、勇気づけと気分を良くすることは全然違うじゃんって、

いつの間にか学びが定着するものなんだろうと思う。



でもご安心ください、パセージはベイトソンよりずっと理解しやすいですから。

それに一応ガイドがついていますから、迷いっぱなしになることはありません。


ゆっくり一歩一歩、共に学ぶことを楽しみたいと思う。