春霞

今日はアドラーの著作のオンライン抄読会という名の近況報告会だった。

 

私はたくさんの人たちとのつながりの中で、生かされているなあと思った。

友だち、先生方、師匠、共にアドラー心理学を学ぶ仲間たち、子どもたちとつながりのある方たち、それから私の自助グループやパセージでご一緒してくれる方たち…

ずーっと一緒にいる(時空を共にする)人は私にはいないのだけれど、

その時期その時期、その場所その場所で、私は本当にたくさんの方に大切にしていただいたなと思う。

 

何人かの自助グループつながりのお友だちに、

子どもたちを連れてのお花見のお誘いをしてみた。

私が人を遊びに誘うことはとっても珍しい。いつも勉強会のお誘いばかりしている。

だから実はとても勇気がいった 笑

突然のお誘いだったから、ご都合が合わなくてごめんなさいというお返事を、たくさんいただいた。

でもまた誘ってくださいって言っていただいた。

それがとても嬉しくて、私は遊ぶこともできるようになったんだなあと思った。

何人かの方とはお花見にご一緒できることになった。

それももちろん、とても嬉しい。

 

いつの間にか、こんなに私には一緒に遊んだり学んだりできる人がいたんだ。

私は初めての人と話すのが苦手だし、世間話も苦手だし、当たり障りない会話も苦手なので、お友だちは多くない。

でも子どもたちとパセージのおかげで、共通の関心のある人たちとたくさん出会うことができている。

そして、私のお仲間が増えていくと、みなさんもお互いに親しくなっていかれる。

どんどん良い関係ができていって、その輪が広がっていく。

私、自助グループ始めたときはひとりだったんですよ。

まるでそれが嘘みたいだと思う。

 

 

「(幼稚園の時の親友の)Kくんと(小学校のお友だちの)Yくんのところもお誘いしたんだけど、予定合わなかったわ〜残念。」と言うと、

長男が

「Kくんと、Yくん、きっと気が合うと思う。いつか一緒に遊べたらいいな〜」

と言った。

この人も、人と人とを結びつける人だ。

 

 

桜は、もうすぐ満開。

春はいつも寂しいけれど

私は今、楽しみも寂しさも人々と分かち合える。

 

 

小さい頃、毎年父のバンドのお花見があった。

桜の花びらが流れていく川の中の石を渡って遊んだ。

 

「百年目」という落語が好きだ。

桜並木の下を大旦那とお医者さんが歩いている静かな場面が、なぜか好きだ。

 

大学に入学したあの春、

阪急電車の窓から満開の桜が後ろへ飛んでいくのを眺めていた。

 

ここを離れてしまった友だちと、子どもたちと行った場所へ、今年もお花見に行く。

この町を一望できる山の上。

少し登ると、眼下に桜が霞のように見える。

 

 

春はいつも寂しい。

桜の思い出も、霞のようだ。