今日はお母さん業の日。次男の入学式でした!
お兄ちゃんのお下がりの制服を誇らしげに着て、ぶかぶかの制帽をかぶって、
もう散ってしまった桜のアーチをくぐって、はしゃいで登校しました。
はしゃぎすぎてふたりでぶつかり合いを始めて、
こけて足をすりむいて泣いたのは、多分次男の記憶にはもう残ってないかもしれないけれど。
授業を終えて遅くに帰宅した長男が、帰るなり
「しゅんすけの入学式、お兄ちゃんも教室のテレビで見ていたよ。そうしくん同じクラスだったね!全部知ってるよ!」
と優しく言っていたのは、ハレの日にはちょっとまずかったなと思っていたからのような気がします。
受付時間よりずいぶん早くに着いてしまったのだけど、
お友だちが来るのは今か今かと、私から離れて道の真ん中に仁王立ちで待っていました。
受付始まったから行こうか、と言っても、お友だちと早く会いたいんだ、待って一緒に教室に行くんだと主張していました。
貼り出してある名簿を見ると、同じクラスでした!
教室で待っていたら会えるよと言って、ようやく次男は動いたのでした。
そしてそのお友だちも、
「もししゅんすけと同じクラスじゃなかったら…休み時間になったらおれ、外に出る。そしたら外で遊べるからな…そうすればいいだけだからな…」と、
次男と同じクラスになれるようにと願っていてくれたそうです。
入学式の後、お友だちの車に乗せてもらって、みんなで幼稚園に向かいました。
卒園式の写真などを受け取りに行ったのです。
制服姿を先生方に見ていただけて、緊張がほどけたいい顔になっていました。
「ふたりとも、制服似合うね〜!なんか急にお兄さんだねえ!」
って、先生方もとても喜んでくださいました。
「ぼくたち同じクラスになれたんだよ!」
「それはよかったね。ほんとによかったね。」
思わずぴょこぴょことその場で跳ねるふたり。
それから、同じ幼稚園から一緒の他の子たちのクラス分けがどうなったかとか、
少し賢そうな口ぶりで報告しているふたりがかわいかったです。
長男は同じ幼稚園からはたった一人でした。
だから、自分がしっかりしなければと、とても気を張っていたように思います。
「でも、受験の時に仲良くなった子が何人かいるから大丈夫だと思う。」と言って、
入学式の当日、すぐにたくさんのお友だちを作っていました。
長男は周りを巻き込んでいく力が強い人なんだろうと思います。
小さい頃から、公園の遊具で遊んでいる見知らぬ子たちと鬼ごっこを始める子でした。
しかも自分でルールを考えて、こうやろうぜ!と声をあげて、遊びを展開させていくのです。
先日のお花見でも、みんなの動きをよく見ていました。
あの日は小さい子が多かったから、あんまり自分のこうしたいという意見は言わなかったように思います。それも、成長だなあと今気づきました。
一方で長男は、幼稚園のときに一番仲良しだったお友だちとは、ふたりでひっそりと遊んでいることも多かったです。
ふたりで絵を描いたり、ふたりで深い穴を掘ったり、ふたりで池の中の生き物を観察したり。
とても遊ぶのが上手です、と幼稚園の先生に言っていただいたことを思い出しました。
たくさんのお友だちとの外遊びも、一人で集中して工作したりするのも、少人数でゲーム要素のある遊びをするのも、どれも上手です、と。
そういうお兄ちゃんがいて、次男はどんな風になるのかなと思っていました。
結果、お兄ちゃんについて行けば面白いぞ、という信念を持っているように思います 笑
喧嘩もいっぱいするんだけど、お兄ちゃんと遊ぶのがすごく楽しそうです。
お兄ちゃんも一緒にたくさんの子どもたちと遊ぶのも、お兄ちゃんとふたりで遊ぶのも、それからお兄ちゃんのいないところで自分のお友だちと遊ぶのも、
そこでの次男の動き方は様々ですが、次男も独創的で遊ぶのが上手なように思います。
でもね、やっぱり仲良しの人が側にいる、ということがとっても大事な人のようにも感じます。
いいね、弟って。
お兄ちゃんが一緒だもんね。
「おにいちゃんは ぼくをたすけてくれるひと」なんだよね、きっと。
(『あなはほるもの おっこちるとこ ーちいちゃいこどもたちのせつめいー』より)
それに、次男はお友だちを作るのも上手なんだろうと思います。
相思相愛のお友だちがいること、幸せな人生だと思います。
次男も、心配いらないなあと思うのです。
私の小学校入学のときの早期回想を思い出しました。
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私が小学校一年生の入学式、とても緊張していたことを覚えています。
父が珍しくネクタイをしていました。
山の上の学校で、バスに乗って、そこから30分ほど坂道を歩くのです。
これから私ひとりで行けるんだろうかって、とても不安でした。
教室はとても明るくて、先生は面白い男の先生でした。
前の席の女の子は優しくてすぐに仲良くなりました。
隣の席と斜め前の席の男の子たちは面白い子たちでした。
(関西人にとって「面白い」は、とても大事な価値観なのです。
そしてそれは、私の父と同じ類の人という意味で、私にとってはとても安心する人という意味でもあるのです。)
運動場に出て写真を撮ることになって、
靴を履き替えてみんなが走っていたから、一緒に走り始めたら、
私はこけて、ひざをすりむきました。血が出ていました。
前の席の女の子と後ろの席の女の子が、「わあたいへん!大丈夫?」と言って私を起き上がらせてくれました。
「大丈夫」と私は言いました。
白い運動靴が砂まみれになってしまった、と私は残念に思いました。
そのふたりの女の子は、
「先生!けがをしちゃった子がいるので保健室に行ってきます!」と言って、
私の背中に手を当てて、保健室へ連れて行ってくれました。
なんで私はこんなに優しくしてもらえるんだろうって不思議に思いながら、嬉しく思いながら、
でも、騒ぎになってしまって恥ずかしいなと思っていました。
保健室で消毒してもらうと、すごく傷にしみました。
こけて、ひとりで立ち上がって、けがしたことは秘密にして、そーっとそのままみんなと一緒に並んでいたらよかったなって、ちょっと思いました。
でも側で心配そうに見てくれている女の子たちがいてくれて、とても嬉しかったです。
母と父は、えー!いきなりたいへんなことになってしまって大丈夫かこの子は?とびっくりして、心配していたように思います。
なんで何もないとこでこけんねん!と、後で父が何回も、何年も、言っていた気がします 笑
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私は小さい頃、よくこけていました。
いつもひとりでこけて、ひとりで痛いなあって感じて、
ひとりでがっかりして、傷を確かめて、
そして立ち上がって、なんでもない顔をして、また歩き始めていました。
痛くても血が出ていても、私はひとりで歩き続けないと家に帰れない。
だから痛かろうが血が出ていようが、私はひとりで家まで歩き続けるんだ。
家は安全なところ。家にたどり着きさえすれば、お母さんがなんとかしてくれる。
そんな感じです。
自立しているんだか依存しているんだか、よくわからないですね。
自分のことはわかりません。
この早期回想は、実はよくない早期回想だったんです。
みんなの前で恥をかいて、
しかも集合写真の撮影を遅らせるという迷惑をかけてしまった、
そして両親を心配させてしまった、よくない早期回想でした。
けれども不思議なのは、今思い出したとき、私は女の子たちの優しさがとてもとてもありがたくて嬉しかったのです。
全然、よくない早期回想でなくなってしまっていました。とてもよい早期回想です。
優しくてよく気がついて、賢い女の子たち。
私はいつも、そんな女の子たちに守られて生きてきたのかなって、思えたのです。
私はとても「どんくさい」(不器用、不恰好、要領悪い、そんな意味です)。
それが私の劣等の位置です。
だからとても恥ずかしくなるのです。自分は失敗しやすい人間だと思っているみたい。
周りの女の子たちは、みんなしっかりしていて、器用なんですね。多分。
ああ、私の母もそういう女の子です。
私がつまづくようなところを、華麗に通り過ぎていく。
それを補償しようとして、私は賢くなろうと、がんばったのかもしれません。
でもそれは過補償だったかもしれませんね。
私は「どんくさい」から、よくこけるから、よくつまづくから、よく失敗するから、
それが私のいいところなのかもしれないなって、思えるようになりました。
私はいつも一生懸命がんばるのです。
いっぱいつまづきながら、いっぱい失敗しながら、それでもがんばるんです。
そして周りには、私の失敗を、あたたかく見守って、助けてくれる人がたくさんいます。
とても幸せなことかもしれません。
私にとっても、それから、私を助けてくれる人たちにとっても。
今日の次男の安心しきった顔を見て、弟はいいなって心から思いました。
同じ学校にお兄ちゃんがいるって、どれほど心強いんだろう!
そういえば私の弟も、お姉ちゃんがいるから♪ってよく言っていた気がします。
1年生の弟と、毎日一緒に学校に行きました。
私の教室に、弟はよく遊びに来ていました。
「えー全然似てない!弟めっちゃかわいいやん!」というクラスメートの反応も、若干こたえましたが 笑
「かわいいでしょ!」と、心から思って、私は応えていたのでした。
桜のアーチの下、ぶつかり合いになった発端を思い出しました。
「しゅんすけ、お尻ぷりぷりでかわいいね!1年生ってかわいいね!」
と長男がにこにこ言ったのでした。
それで次男が「なんだとー!クソガキが!ぶっころすぞてめー!」と笑って言って、ぶつかって行ったのでした。
…うん。男の子どうしなんてこんなものでしょう。