メタの使い方

今日は夕方にオンライン勉強会がありました。

 

またメタの話をすると読者が減るのはわかっていますが、しつこくさせてもらいます。

メタの概念を意識してから、私はパセージの実践が楽になってきました。

 

子どもが私の気に入らない行動をしているとき、

たとえば

部屋を散らかしまくって遊んだ後、部屋はそのままで食卓で科学実験をし始めたりとか、

手作りロウソクのろうが垂れて食卓周りの床がツルツルに滑りやすくなったりとか、

食卓でダイナミックにマジックで絵を描いて机にまではみ出ていたりとか、

玄関前に大きな落とし穴を掘っていたりとか、

ベッドの上に山ほど積み上げた本の隙間で朝まで眠っていたりとか…

以上はここ一ヶ月以内の実話ですが、

私はそういえば、「うわー!!なにしてんのー!!」と叫ばなくなったなあとしみじみ思います。

叫んでも私の喉が痛くなるだけで、

うちの子たちと過ごす限り、とんでもないことが起こることは止められないと学んだということもあります。

 

でもそれだけではなくて、とんでもない現場に居合わせた瞬間に、

現場の私を一旦ストップして、自分の意識をメタのレベルに上がらせています。

そこで私は今、子どもたちの私の気に食わない行動をやめさせようとしているな、と認識します。

陰性感情はあります。たいてい、「また、何すんねん…」という呆れ、疲労感です。

「この後これどうすんのよー」と思ってうんざりします。

それで、その後、子どもたちのことをメタの位置から見てみます。

私が相手をしていない間に、彼らは楽しく過ごしてくれていたんだ。

しかもたいへんな創意工夫をして。自分の頭と手先を使って。

私の気には食わないけど。

でも、この陰性感情をそのままぶつけても、決して彼らは私の意見を聞き入れることはないでしょう。

私が陰性感情を落ち着けて、彼らと平等で対等な関係に戻ってから、あたたかい気持ちで、冷静にお伝えすることができれば、

彼らはきっとその行動について私と話し合いをしてくれるでしょう。

そこまでメタで見通してから、

さて、私はどんな行動をしようかな、と現場の自分に意識を戻します。

 

そのときの現場の私は、もうずいぶんと陰性感情が落ち着いています。

「お待たせ。すごいの作ってたんだね。これなあに?」

「え、これはね、お母さん何だと思う?」

「落とし穴?」

「あれーなんでわかったの?そうだよ!落とし穴〜!」

「大きいねえ。」

「すっごく掘ったもんねー!」「ねー!」

「うん…でもここに落とし穴があったら、お父さんが夜帰ってきたときにはまっちゃったら危ないよ。それに生協さんも玄関まで荷物運べないよ。」

「あーそうかー。じゃあ後で埋めとくね!もうちょっと掘ってから。」「まだ完成じゃないから!」

「うん、わかった。おねがいします。」

「はーい!」

 

というやりとりがありました。

しかしその直後に雨が降ってきて、すぐに埋められることはなかったのでした。

落とし穴は池になり、翌日に埋め立てられました。

 

現実は思い通りにはいつもいきません。もちろんです。

でも、大切なのは目前の現実を自分の好みにしていくことではなくて、

子どもと私との関係を良いものに保っておくことだと、今私はようやくわかってきたのです。

関係が良くなければ、伝えたいことも伝わらない。伝えたい思いも伝わらない。

関係が良ければ、私たちはたくさんの選択肢の中から、何を選ぶか相談することができます。

それは私にとってどれほど気に入るものかはわからないけれど、少なくとも、今をより良くすることにはつながるはずです。

 

こんな風にして、私はメタを実践に使っているのでした。