今日はカウンセリングでした。
エピソード分析をゆっくりゆっくりと進めていっています。
エピソード分析は、手順が決まっていて、それぞれに目的がはっきりしているので、
つまりアルゴリズムがあるので、
カウンセラーが道に迷うことがないのだなあと感じています。
このアルゴリズムを理解して使えるようになるまで、私はけっこう時間がかかりましたが…
自助グループなどで何度もエピソード分析を実際に見て、実践しながら学ぶ機会があれば、
誰でも使いこなせるようになる技法だと思います。
クライアントさんの様子を見て、反応をよく観察して、呼吸を合わせて、
物語を冒険し、言葉を探していくのです。
私に使えるのは言葉だけ。
よい関係を作り、よいイメージを作り、そしてクライアントさんがより良い関係を作っていけるように、
言葉を使っていきます。
言葉は魔法のようなものだと思います。
良い魔法もかけることができる。
悪い魔法もかけることができる。
心理学も恐い技法だと思います。
良い影響を与えることもできる。
悪い影響を与えることもできる。
言葉と心理学を使う目的を、決して見誤ってはいけないと思います。
野田先生は、人を操作するためにアドラー心理学を使うことを厳しく戒めておられました。
私たちは人を援助し、人々が協力して暮らせるような社会を目指して
アドラー心理学を学び、実践し、伝えていこうとしているのです。
だけど、人々が協力して暮らせるような社会のイメージが、
私とは著しく異なる人たちも多いのかもしれないと最近思います。
レポートで考えて、弱者がいなくなる、不平等がなくなる、格差がなくなる、
そういう社会を目指そうとする人たちには、いったいどんなイメージが見えているのかわかりません。
否定文ではものを描くことができないからです。
肯定文で描いたものについては、どのようにでも批判することができます。
それは、みんなが具体的に目の前に見ることができるから。
世の中のあらゆる組織の中で、ポリティカルコレクトネスが歯車を回している気がします。
表立って反対できない言葉で、そのイメージのデッサンが狂っていると指摘する声が大きくなり、
やがてイメージ図を破られてしまいそうになる状態が
私の身の回りにもいくつも迫ってきています。
明文化されない伝統的な慣習的な道徳的規範やルールを破壊すると、
必ず秩序がなくなり、乱れていきます。
だから必ず、新しく明文化されたルールで規則が厳しく設定されます。
そしてその新しいルールの設定は必ずブラックボックスの中で行われます。
それは歴史が証明しています。
私にできることは、歴史に学ぶこと、学んだことを言葉にして伝えていくこと。
それから、私とあなたとの二人から始まる社会を、少しでも協力的でよい関係にしていけるよう、努めること。
広大な砂漠の、ひとつの砂粒を磨くことです。
けれども、それに意味がないというのなら、他に私に何の意味があるのかと思います。
絶望してはいけない。
ニヒリズムに陥ってしまっては、彼らの思うつぼです。