倫理

今日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会でした。

 

こちらの勉強会は、大先輩が一緒に参加してくださっているので、

野田先生ご自身のおしゃっていることの変遷というか、発展という視点からも学ぶことができて、とてもありがたいです。

エピソード分析が開発されるまでの野田先生の思考の過程も、少し感じられるようになりました。

 

私は野田先生の、今のところ一番新しい弟子なのです。

私はエピソード分析以降の、野田先生の弟子です。

エピソード分析以降と以前とでは、まったくカウンセリングの方法が変わりました。

方法が変わっただけでなく、カウンセリングの目的がはっきりと見えるようになったため、

カウンセリング自体の構造も、変化したのではないかなと思います。

それまではある意味魔法のようだったカウンセリングが、より科学的に論理的になったのだと思います。

でも、カウンセラー側の構えは、思想は、何も変わりません。

手法が洗練された分、カウンセラー側の構えや心のあり方が、

よりカウンセリングの良し悪しに影響していることが、はっきりと見えるようになったと思います。

 

 

今日は、エピソード分析開発前の、野田先生のお考えがよくわかるライブラリを読み終わりました。

そしてまたひとつ、私は大きなタスクに出会ってしまいました。

これについては、まだここで言葉にすることはやめます。

気になる方は、ぜひご一緒にアドラー心理学を勉強しましょう。

私がこのブログでいつも同じことを書いている、そのことです。

物語についてです。

 

 

個人の中に、葛藤はない。

これはアドラー心理学の基本前提であり、全体論といいます。

(他の学派の心理学では、個人の中に葛藤があると考えます。

 こちらの考え方を、要素論といいます。)

さらに、世界と個人の間にも葛藤はない、と考えるのを、絶対的全体論といいます。

人々と良い関係を作っていけばそれでよし、とはしないのです。

私が組み込まれているこの世界の中で、

私のお役目を果たすことで、

共同体感覚に向かって自分の責任を果たすことで、

世のため人のため役に立つことで、

私ははじめて幸せになれる、という考え方です。

 

この世界は、本当は良い世界なんだけど、

私が世界の声を聴いていないから、自己執着にまみれているから、

私は不幸だと思い込んでいる。

世界の声に耳を傾ければ、私は良い世界を思い出すことができる。

そうすると、私は美しい物語の中で生きることができる。

こういう考え方を、「スピリチュアリティ」とよびます。

 

 

私は絶対的全体論者ですし、スピリチュアルタスク派です。

野田先生の弟子ですから、当然です。

 

アドラー心理学を学ぶ人たちの間にも、様々な考え方があります。

もっと穏健派の、マイルドなアドラー心理学を学び、供給しようとしている方々も多くいらっしゃいます。

でも、違う立場であっても、互いに共存共栄しながら、

ときには議論し、ときには協力するというのがアドレリアンであると私は信じています。