幸せの構成要素

今日はカウンセリングと野田俊作ライブラリのオンライン勉強会でした。

それから、短期的目標と長期的目標の、あるプロジェクトの打ち合わせをしました。

 

共にアドラー心理学やパセージを学んだ方々と

その点だけで一瞬交わるのではなく、

人生の線上を共に歩いていけることがとても嬉しいです。

これまでの物語を聞かせていただけることがとても嬉しいです。

深いご縁があったのだと、そうとしか考えられないでいます。

 

だけどきっと、これまでに私がすれ違ってきた多くの方々とも、

私はご縁があったはずなのだと思うのです。

そのことに気づけなかっただけで。

私は人々の中に、組み込まれて生きているから。

人生でたった瞬間しか交差しない方に対しても、

私は私のできることをしていきたいと思います。

それは例えば、ドアを少し長めに押さえておくとか、

支払うお金を丁寧にトレーに置くとか、

そんな些細な些細なことであったとしても。

私がこの土地に生かされていること、この国に生かされていることを

感謝しようと思えました。

そんな1日でした。

 

子どもたちの幼稚園(プロテスタントです)の園長先生が、

「出会うすべての人を、神さまだと思いなさい」

と仰いました。

そう信じて生きることは、幸せだと思います。

私は、出会うすべての人を、菩薩さまだと思うことにします。

宗教はメタファーです。

大切な本質は、どの宗教でも同じことだと思います。

 

 

 

カウンセリングをするのは、ありがたいお役目だと思っています。

クライアントさんたちが、どんどんご自分の能力を発揮されて、

周りの方たちのために役目を果たしていかれるご様子を

聞かせていただくことができるのです。

 

私がしていることは、ただ色眼鏡をかけ替えてもらう提案をするだけです。

より良いと思う色眼鏡を選ぶのも、その色眼鏡をかけるかどうか決心をするのも、

すべてはクライアントさんの勇気によります。

私とクライアントさんの相互の勇気づけの物語が、紡がれていきます。

本当にありがたいです。

 

 

 

アドラー心理学を学んでいる人は、幸せだと思います。

なぜなら、幸せになる方法をアドラー心理学は知っているから。

それは、「これはみんなのためにどういう意味があるのか、みんなのために自分には何ができるのか」と考えること、

つまり共同体感覚を目指して世のため人のために貢献することです。

そして、そういう幸せな人たちと共に生きることです。

ひとりきりで幸せになることはできません。

 

言葉ではどんなことでも言えます。

わかっていなくてもわかったふりができます。

だけど、文章というのは、使われた言葉のひとつひとつや文脈に、

そこにその人が表れてしまうと私は思います。

アドラー心理学を学んでおりながら、自分を幸せだと思えていないのなら、

そういう人はまだアドラー心理学を実践できていないのだ、と私は思います。

 

なぜそう言えるかというと、私がかつてそうだったからです。

一生懸命学んでいたのに、本当に頑張っていたのに、

私は家族と良い関係を築けずにいました。

なんで私だけが不幸なんだって思っていました。

そう思っている限り、実践できていないのです。

家族や周りの人たちが幸せになって、私は幸せになりました。

 

家族や周りの人たちの幸せには、必ず私が貢献する余地があるはずなのです。

その貢献の仕方は、

ある場合は、私が意見を言わずに黙ることかもしれないし、

ある場合は、相手の意見を尋ねることかもしれないし、

ある場合は、自分の意見を意見として伝えることかもしれません。

それはひとつひとつのエピソードについて考えていくことです。

答えは、本人にしか見つけられません。

 

このあたりのことがわかれば、

誰でもアドラー心理学のカウンセリングができるようになると思います。

幸いにも私たちには「エピソード分析」という方法があります。

共に学んでいきましょう!