「荒野の果てに」

今日はコーラスの練習と、次男のお友だちづきあいのおつき合いでお母さん業と、オンライン勉強会だった。

 

今はクリスマスに向けて、たくさんの賛美歌やクリスマスソングを歌っている。
私が幼稚園のママさんコーラスに入ったのは、去年のクリスマスコンサートを観に行って、決めたのだった。
「荒野の果てに」という賛美歌を歌っておられた。


私もキリスト教の幼稚園に通っていて、小さな古い教会で賛美歌を歌うことが多かった。
小学2年生の頃まで、土曜日の教会学校にも、幼稚園の同窓会みたいな気分で時々通っていた。
あの小さくて古い教会では、私は歌を歌った記憶ばかり持っている。
そのときに歌った私が一番好きだった歌は、
クリスマスコンサートで、日本語ではこの「荒野の果てに」だと気付いて、
あの歌をまた歌えたらいいなと思ったのだった。
そして、今、私はこの町で、子どもたちの幼稚園の教会の中で「荒野の果てに」を歌っている。


「荒野の果てに夕日は落ちて たえなる調べ天より響く
 グローリア インエクセルシスデオ グローリア インエクセルシスデオ

 羊を守る野辺の牧人 天なる歌を喜び聞きぬ
 グローリア インエクセルシスデオ グローリア インエクセルシスデオ

 み歌を聴きて羊飼いらは まぶねに伏せる御子を拝みぬ
 グローリア インエクセルシスデオ グローリア インエクセルシスデオ

 今日しも御子は生まれ給いぬ 世界の民よ喜び歌え
 グローリア インエクセルシスデオ グローリア インエクセルシスデオ」 

 

仲間と共に早期回想を旅をして、私の子ども時代に自分でかけた呪いが解けていく。
同じ歌を歌っている私が、幼い日の私だったり大人になった私になったり、
重なって、どちらも私であることを感じた。
私は結局思い込みから放たれることはないのだけれど、
幼いときの自分を認めることができたことで、今の自分も認めようと思えるようになった。


午後、近所の子どもの遊び場で、次男とお友だちと遊んだ。
4歳の女の子と仲良くさせてもらった。
私もこんな風に、世界を新鮮に受け止めて、身体中できらきらした世界を受け止めて、生きていたのかなと思えた。
私は世界とひとつだったな、と思った。
子どもたちはそうやって生きているんだって思えて、
この子たちと共にこの時間を過ごせていることがかけがえなく思えた。
この子たちを慈しむことが、輝く未来を作っていくことに、必ずつながると信じられた。

 

私はキリスト教徒ではないけれど、子どもに未来を託すという比喩で、
あの時代にどれほど人々が、輝く未来を信じたかったのかということを、
少しだけわかったような気がした。
だけど、あの時代はきっと、世界と私はひとつであっただろう。
今の時代に生きる私たちの不幸は、世界とひとつになれないことなんだと思う。
でもそのことを、思い出すことができれば、私たちは幸せになれると思う。