「見渡せば」

今日は久しぶりのコーラスサークルの日でした。

夜はベイトソンのオンライン勉強会でした。

 

 

今日歌ったのは、4月5月のお誕生会のための録音で、

「むすんでひらいて」と「春がきた」でした。

 

「むすんでひらいて」は、フランスの思想家ルソーの作曲です。

欧米でも賛美歌や民謡として親しまれ続けている歌で、

日本では賛美歌や軍歌になり、小学校唱歌「見渡せば」という歌詞もつけられていました。

第二次世界大戦後、「むすんでひらいて」の歌詞がつけられました。

今では「見渡せば」の歌詞は多くの人が知らないでしょう。

 

 

「見渡せば」

作詞 柴田清煕 稲垣千頴

 

見渡せば青柳 

花桜こきまぜて

都には道もせに 春の錦をぞ

佐保姫の織りなして 降る雨にさらしける

 

見渡せば山辺には

尾上にもふもとにも

薄き濃きもみじ葉の 秋の錦をぞ

竜田姫織りかけて 露霜にさらしける

 

 

『歌の絵本』という、安野光雅さんの絵に、たくさんの歌と楽譜が書かれた絵本があります。

子どもたちが赤ちゃんだった頃から、よく一緒に歌っている絵本です。

『歌の絵本Ⅰ』と『歌の絵本Ⅱ』があって、Ⅱの方に「見渡せば」が入っています。

当時幼稚園年少ぐらいの長男が「ぼく「むすんでひらいて」の曲、好きなんだよね〜」と言っていて、

えー、あんな歌、と私は敬遠していたのですが、

「見渡せば」の歌詞で歌うと、メロディーがあまりに美しいことに私ははじめて気づき、

あまりに美しい情景が目に浮かび、驚いたのでした。

 

この歌詞は、古今和歌集素性法師の短歌

「みわたせば柳桜をこきまぜてみやこぞ春の錦なりける」

を元にしているそうです。

そしてこの短歌は、秋山の紅葉を錦に見立てる漢詩の詩句を転じたそうで、

その漢詩が2番の元になっているようです。

 

 

 

「むすんでひらいて」は多くの子どもたちの大好きな手遊び歌です。

この歌を通して遊ぶのは、親子にとって、とても幸せなひとときかもしれません。

このメロディーが消えてしまうことはおそらくないでしょう。

 

けれども、私は「見渡せば」を子どもと歌えたことを幸せに思うのです。

春が来るたび、秋が来るたび、

雨に打たれる花も葉も、色あせていくのではなくて、

雨にさらすことによってより美しい錦になるのだと

今の私には心強く感じます。

 

 

 

わかりよいもの、楽しいものがもてはやされるのは世の常ですが

私は、わかりにくくて楽しいとは感じられなくても、美しいものを美しいままで残していきたいです。

何を美しいと感じるかは、美しいものに触れた分だけ、より強く感じられるようになると思うのです。

美しい言葉を、美しい情景を、美しい歌を。そしてそれらを通して、美しい心を。

 

 

それでも、今日みんなで「むすんでひらいて」を歌った時間は、とても美しかったです。

オンラインのパソコン画面越しにつながることは、つまらないことです。

たとえ手遊びの歌であっても、息を合わせて、身体を使って、

一度きりのこの時この場所で、みんなと歌えたことが、

私にはとても幸せに感じられます。

それぐらい、人とつながっているということを実感しにくい世の中になってしまっているということなのでしょう。

 

このような状況下で、今、パセージやプチパセージを開催できていることを、本当にありがたく思います。

私はオンラインで毎日のように仲間とつながって、勉強をしています。

けれども、だからこそ、実際に会って学び合うということ、

実際に会っておしゃべりしたり歌ったり食事をしたりできるということの幸せが、より身にしみてわかります。

 

 

 

忘れられようとしている「見渡せば」を偏愛する私です。

私が偏愛するものは、時代にそぐわないのかもしれません。

けれども、私は美しいものを美しいままで伝えていきたいです。

同じようにそれを美しいと思い、大切にしたいと思う人たちと共に、生きていきます。