お裾分け

昨日と今日は絶対的休日。
オンライン勉強会のレジュメ担当が重なっていてなかなか忙しい。

 

昨日の朝、お向かいのおじいさまのお庭に、庭師さんが剪定に来られた。
おじいさまのお友達だった方だろうか。
まだ次男を幼稚園に送っていく前の早い時間に、ごめんくださいと来られた。
白髪のおじいさん。
うちの家の前に軽トラックを止めさせてもらっていいですか、と尋ねに来られた。
「どうぞどうぞ。」
「すみませんなあ、ちょっとお邪魔かと思いまして、お願いに…」
「いえいえ、どうぞどうぞ。」
「これ、うちでとれたもんですけえ。」
「え、こんなに!いただいていいんですか?」
「ええ、こんなもんですけど、泥もついたまんまですけどな。」
「ありがとうございます!」
次男、大きな袋の中をぞきこんで、「さといもさんだー!何作ろう?」と大喜び。
お顔をほころばせて庭師のおじいさんは仕事を始められた。


さっそく、母から去年だったかに教えてもらった「さといものお焼き」を作ることに相談がまとまった。
得意料理は手抜き料理である私にとっては、かなり気合のいる料理である。
詳しい作り方は忘れたが、まあだいたいの感じで。
今日材料を買い出しに行って、夕方に次男と一緒に作った。

 

山のような里芋の皮をむいて、切って、電子レンジで柔らかくして、それをつぶす。
私にはここまでの作業が面倒でたまらないのだけど、次男が大量の里芋をすりつぶしてくれた。
鶏ミンチと白ネギとちりめんじゃことしいたけと片栗粉を適当に入れて、里芋と混ぜる。
味付けは鶏がらスープのもとを適当に入れる。
それをスプーンで適当な大きさに成形して、ごま油で両面を焼く。

 

フライパン4枚分の分量、大量にできたので、明日の食事も心豊かである。
少し醤油をたらすと美味しい。
ぼくが作ったんだよ!と次男は誇らしげに長男に言っていた。


こんな風に我が家にやって来てくれる野菜や果物、けっこう色々とある。
夫の仕事でつき合いのある農家さんたちから、梨も柿も、たくさんいただく。
今日は、次男が近所の仲良しの変わったおじいさんからおせんべいをもらっていた。
なんだかとても嬉しく思う。
ちゃんとこの土地に、私たちは組み込まれているなと思う。

 


先日は、今月のゴミ当番になっているおばあさんが来られた。
「いつもゴミのネットを片付けるの遅くなってしまってねえ。」
「…はい?」
「あの、いつも気づいて片付けとりんさるの、奥さんかと思ってですね、いつもありがとうございますねえ。」
「いいえ!私じゃないですよ。きっと他の方ですよ。」
「あら、そうでしたか。いやあ、奥さんだとばっかり 笑」
「違うんですけど、ありがとうございます。」
「お邪魔しましたねえ。」
なんて美しい誤解。
私はいつの間にか、ちゃんとここで共に生きる人に数えてもらっている。


そう思っていたら、このおばあさんその2日後に、またうちに来られた。
「あの、ゴミのネット、もうぼろぼろになってたんで、町内会で新しいの買ってもらったんですよ。」
「そうでしたか。」
「奥さん今班長さんでしょう、なのでね、この新しいネットになったこと、ネット置かせてもらってるお宅にねえ、あの、このネットほら、すごくかさばるんですよ、これねえ、だからちょっとお断りにね、行っていただけたらいいなと思いましてね、一言だけでも。」
「あ、そうでしたか。うーん、あそこのお宅、私ご挨拶したことないんですよね…」
「あ、そうですねえ、違う班ですからねえ、まあ、一言だけでもいいんですけどねえ…。班長さんからの方が、いいですけえねえ。私あんまり口がうまくなくてねえ。」
「わかりました。あのー、もしよかったら、今から、ご一緒してもらえますか?」
「はいはい、じゃ、おりんさるかどうかわかりませんけどね、ご一緒にねえ。はいはい。」
次男あわてて靴をはいて、「ぼくも行く!」
「大きなりんさったねえ。次は小学校?」
「そうだよ。1年生!」
「あー、早いですねえ。お兄ちゃんも大きなられてねえ。」
「お兄ちゃんは4年生!」
「ああそうなの、もう4年生なの。はあー大きなりんさってねえ。」
おしゃべりしながらゴミのネットを置かしてもらっているお宅へ行ったら、
おばあさん同士が長いご挨拶を延々とされるのを、
これも美しい世間のしきたりなのだとぼんやり眺めていた。
班長さんですか、ああ、ご苦労さまでございますね。」
「いえいえ、いつもお世話になっております。ご挨拶にもうかがわないで…」
「いいえ、こちらこそ、もうそのままで、何も使っとりませんので、いいようにしてもらったら」
「そんな、でもいつもすみませんねえ、もうお邪魔でしょうに…」
内容のない言葉で、でもお互い思いやる気持ちだけは伝えようとする。
これは世間智だと思う。
現代の常識にどっぷり浸かって、無駄を嫌う私が学んでこなかったことだ。
子どもたちがいることで、いつも私は世間話に仲間入りさせてもらえている。
ほんとうに、私の周りのたくさんの方に私は生かされている。

 

「お断りに行ってくださってありがとうございましたねえ。やっぱりちょっと一言言っとかんとね、もう、使わせてもらってますのでねえ。」

「いいえ、こちらこそおつき合いくださってありがとうございました。」

「いいえ、私もうちょっとこのネット、綺麗にこの端っこの方、縫っておきますのでね、ちょっと持って帰って。」

おばあさんのお家まで一緒に歩いて行ったら、

庭先のメダカを目ざとく見つけた次男が遊び始めた。

「卵から孵したんですよ、このメダカ。」

「へえー!卵からかえったの?」

「そうよお。おばあちゃん、じっと待ってたのよ。卵もらったからねえ。」

「すごいなあ!元気だね、メダカ。」

「いいでしょう。ねえ、元気でしょう。」

このおばあさんのこと、数年前の私は、細かいことを言う方でちょっとおつき合いしにくいなって思っていたんだけど、

いつの間にか私たちは一緒に色々なことを協力できる関係になっていたんだなと思った。

次男を見つめるおばあさんの横顔と、この日の夕焼けを、多分私は忘れないと思う。

おばあさんの家の向かいの大きな金木犀は、あんなに強く香っていたのに、

いつの間にかもう花が散ってしまっていた。


そうだ、ここは前近代の共同体がまだ生き残っているんだ。
留五郎さんみたいなおじいさんも、いたりする。とてもありがたいことだ。
そしてありがたい里芋はまだあと2山残っている。明日は何を作ろうか…