今日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会と、アドラーの著作のオンライン抄読会でした。
間に野田先生の論文のオンライン勉強会のレジュメも作成進めました。
昨日ちょっと話題にした「代書屋」という落語は、桂米朝の師匠である桂米團治が、代書屋業をしていた経験から作った落語です。
なので時代は明治時代で、古典落語ではありません。
桂枝雀の爆笑ネタとして有名です。
夜警の職に就くことになった男が、履歴書を持ってくるようにと言われて、代書屋に履歴書を書いてもらおうとやって来ます。
古典落語らしい、「あほ」と「かしこ」の2人のしゃべりだけで構成されています。
この松本留五郎さん、代書屋に来た経緯を、奥さんとのやり取りから向かいの友だちのお家に履歴書って何と尋ね、貸してもらえるかなと思って行ったことから、友だちの家族構成から、結局分からなくて借りれなかったことから、道で出会った別の友だちに「普通は自分で書くもんやけど、書けないなら代書屋はんに書いてもらえと言われてやって来ました」と聞いてもないエピソードをしゃべりまくります。
名前を聞かれても生年月日を聞かれても、聞いてもいない親父さんの亡くなったときのエピソードやお袋さんのエピソードをしゃべりまくるのです。
代書屋さんは、さっさと必要事項を書きたいんですが、途中から留五郎さんのエピソードを理解してきて、「それは親父さんの亡くなりはった年でしょ、それは何年前ですか?」と上手に聴き始めるところもおかしいです。
あんなに名前もすっと言えない人なんか、さすがにいなかっただろうと、この落語についてちょっと批判的な人もいるそうですが…。
私はこれは、前近代に生きる留五郎さんと近代化された代書屋さんとの対峙なんだと思います。
「学歴と言ってもまた妙なこと仰ってもいけませんからな…学校はどうなってます?」
「学校ですかあ。しばらく行ってませんなあ。」
「45歳ですから行かないでしょう。昔行っていた学校です。どういうような学校でしたか?」
「うちの近所です。小学校です。大きな桜の木がしゅっしゅーしゅっしゅーしゅっしゅー生えとりましてな、春なんか近所の人も遠くからもみんないっぺんにきて、3日見ぬ間の桜かななんて言うてですね。咲いた咲いた桜が咲いたなーんて言って、女子の子やなんか針と糸と持ってきて、桜の花びら一枚一枚通してこうぐるっと手首の回りに輪にして、「とーめちゃん、きれいやろー、あんたになんかやーらへんわ、あーほー」、と、いうような学校でした!」
なんて早期回想まで語ってくれます。
ああいいなあって、今私は思ってしまいます。
便宜的に言葉を使う世界じゃなくて、留五郎さんは自分の生活と切り離せない生きた言葉の世界で暮らしているんだなあと思います。
それが人間らしい暮らしかもしれないなと思います。
代書屋さんは努めてレポートを書こうとするのだけど、留五郎さんのお商売の話なんかつい聴き入っちゃったりして、「ああ、そういえばそんなものも売ってましたなあ」ってちょっと懐かしんだりします。
なんということのない噺なんですが、上方落語から江戸落語にも取り入れられ、昔から大変人気のあるネタです。
枝雀の演じる愛すべき留五郎さんのキャラクターももちろん素晴らしいのですが、
こういう時代があったんだということを伝えてくれていることを私は魅力に思います。
せめて家族や友だちや、ご近所の、私と関わってくださる方々と、レポートの世界じゃなくてエピソードの世界で共に生きていきたいと思います。