理論が救い

今日もオンライン勉強会だった。


日中は野田先生の論文を読んでいたので、
野田俊作ライブラリで先生がお話しされていることが理解しやすくなってきた。
とても理解できているというレベルではないのだけれど、
様々なものが整理されて、おさまる場所におさまるようになってきたと思う。


私は今まで人に何かを委ねることがほとんどなかった。
でも勉強というのは、流れに身を委ねて、やってくるものを片っ端からこなしていくという
そういうスポ根でやるべきものなのだなあと最近思う。
私が受験勉強苦手だったのは、あるいは楽器が苦手だったのは、
そういうがむしゃらさがなかったからだ。
楽器については体力がなかったので仕方がない面があったと思う。
でもライフワークのような、というかそのための人生のような、
アドラー心理学の勉強というのは、私のペースで私の生活の中で続けることができる。
一緒に学んでくださるみなさんに、本当に感謝している。


私はアドラー心理学を学んでいくことに絶望することがこの2ヶ月ほどの間に何度もあった。
役に立てない自分に落ち込んで消えてしまいたいような気持ちになったことも何度もあった。
これはまったく、私的な落ち込みだった。誰かのせいではない。
だけど勉強会で否応なしにアドラー心理学の理論に触れる度、私は勇気づけられた。
仲間から勇気づけられることももちろんある。
それはそうなのだけれど、アドラーの理論を思い出すと
この落ち込みの目的が、私の今すべきことが、心底わかってしまうから、
私はいつもどん底から這い上がることを決める。


私は結局、落ち込んでは這い上がる、そういうライフスタイルを使うのだ。
王位失墜を経験した長子だから。
そして自分の能力でもって人の役に立つことで居場所を確保してきたから。
でも、こういう私のライフスタイルを知ることもひとつの大事なことではあるが、
そのライフスタイルを成長させたり、
ある面でそのライフスタイルを手離すことを目的にしなければならない。
私は今のままではいられないと思うから。
這い上がる度に、多分少しだけ成長できていると思う。
その成長の中身は、自分がこだわっていた手法や信念を手離すことだ。
とても恐いけれど、今の私には手離すこともできるようになってきた。

 


結局、もうアドラー心理学なしの人生なんて私にはないのだ。
仲間がいるからじゃない。
それは目的ではない。
同じようにこの道を選ぶ仲間たちと行けるところまで行くだけだ。