私のことばかりの私

今日はカウンセリングでした。

 

最近、クライアントさんの成長や、良いところが、
くっきりとした輪郭をもって見えるようになってきたように思います。
パセージのメンバーさんたちや子どもさんたちについても。
それから自分の子どもたちや夫についても、周りの人たちについても。


パセージリーダーの務めとして、毎回のパセージの後、
メンバーさんたちに勇気づけカードを書き、課題シートにコメントを書くのですが
それが本当に私の修行になっているなあと思います。
勇気づけカードにも課題シートにも、その方の良いところや良い意図を見つけて書くのです。

私は自分のことにばかり関心があるので、

他の人の私に関わる側面については関心がありましたが、
他の人の私と関わらない側面については焦点を当てなかったのだなと思います。
パセージリーダー養成講座のとき、同期の受講生みんなに勇気づけカードを書くという宿題、
とっても苦労しました。
みなさんからいただいた勇気づけカードは、何度も読み直して、宝物です。
でも私はみんなのように、宝物のような勇気づけカードを書けないなあと落ち込んでいました。

 

私は昔から寄せ書きの色紙とか、メッセージカードとか、書くのが本当に苦手でした。
これだけ文章書くの好きなくせに?と、不思議がられるんですけどね。
短い言葉で伝えきることができないっていうこととか、
本当に私が手紙やメールをしたい相手ではないっていうこととか、
つまりは私に関心を持ってくれる人相手ではないということとか、
お定まりのような文句は、私が書かなくてもいいじゃないって思ったりとか、
あと期限があったり、何人分も一度に書かなければいけなかったり、
なんかそういうすべてが苦手で嫌だったのでした。
そのくせ、私がいただいた寄せ書きは何度も読み返してすごく大事にしていました。

思うのは、私が自分にばかり関心があったからなのかなということです。

 

そういう私が、メンバーさんたちのことを見つめ続けて、クライアントさんたちのことを見つめ続けて、
良いところを良い意図をたくさんたくさん探す機会を与えられて、
少しずつ勇気づけカードや課題シートや、勇気づけの言葉を伝えられるようになってきました。
すべてはお稽古です。
私はやはり一番自分に関心があるんだけれど、

基本的に人に関心を持たないタイプなんだけど、
そういう私を変えることはできないんだけれど、
そいう自己中心的な私のままでも、目の前の人を勇気づけることができるようになってきたのだと思います。
目の前の人は、私に関心のない人かもしれないし、
もう二度と出会えない人かもしれないし、
私と意見が一致しない人かもしれないけれど。

だけどそれは私とは関わりのないことです。

私がすべきことは、目の前に出会えた人を勇気づけて、

その人と共に組み込まれたこの社会で少しでも貢献的に生きていくことです。

 

 

このアドラー心理学の勇気づけという技法を使っていくことで、
私自身が少しでも世の中にとって役に立つ人になっていけると実感しています。
私はどうしても、こんな風にして私のことばかり書くことを好む偏った人間です。
それに気づいて、恥ずかしいけれど、

仕方ないかなと受け入れて、まあでも悪くはないかなと思って、

これからも言葉を綴っていきます。