今日は、ヘルタ・オーグラー著、西川好夫訳『アドラー心理学入門』を読みました。
1977年発行です。
アドラーの直接の弟子が書いた、アドラーの人となりと理論についての本です。
未読の方はぜひ読んでみてください。
たいへん面白く、わかりやすいです。
ただし、生活様式はライフスタイルのことだし、ちょいちょい気になる訳があります。
訳者は主にフロイト派の心理学を学んだ方なので、
専門用語等については違和感がありますが仕方がありません。
訳者は『フロイト心理学入門』も訳されています。
「ところが、この立場の提唱者としてフロイトの存在があまりに大きいために、精神分析学イコール深層心理学と考える人もないではないが、それは贔屓の引き倒しで、深層心理学といえば、少なくともアドラーの個人心理学とユングの分析心理学を含めるのがふつうである。(中略)
それにしても、わが国では、フロイトやユングについては、汗牛充棟といってはオーバーかもしれないが、とにかく大量の翻訳や紹介があるにもかかわらず、アドラーについては、どういうわけか、翻訳も解説も実に微々たるものである。
しかし、こういう状況は深層心理学を学ぼうとする者にとって不都合である。
学説に対する賛否は別として、アドラーにも然るべき座が与えられねばならないと私はかねてから考えていたが、
幸いにも、清水公文堂から、C・S・ホールの『フロイト心理学入門』(拙訳)と『ユング心理学入門』(岸田秀訳)とが出ているので、これに『アドラー心理学入門』を加えて、深層心理学へ誘う三部作を考えた次第である。」
(P326訳者あとがきより引用)
異なる立場であっても、より広い視野で人々のことを考えて、
このような仕事をしてくださった方がいることに感動し、ありがたく思います。
本を作るというのは、労力の割に見合うことの少ない仕事だと思うのだけれど、
後世のために行う尊い仕事だと思います。
私は賢くなりたいと思います。
今起こっている出来事を、感情的にならずに理性的に捉えたいと望みます。
日々、理性的であろうとすることが難しいことが起きています。
私たちが今選ぼうとする道が、
アドラー心理学の将来にとってどのような影響を与えるのか、
私は恐ろしくなります。
けれど、誰も私から大切なものを奪うことはできないのです。
私は論理の力を磨いて、
相手を貶めるためではなく、
相手も私も、他のあらゆる立場の方も含めた人々みんなのために、
言葉を使っていこうと思います。
だから、私が誰かを打ち負かしたいと思うとき、
私はまず黙ろうと思います。
そして話し合える余地を見つけたいと思います。
言葉は、相手と繋がるために使うべきです。
感情的になっていては、話し合うことができません。
これはパセージテキストにも書いてあることです。
私たちと相手たちになったとき、
アドラー心理学の実践は、より難しくなると感じています。
でもそれができなければ、有資格者として胸を張っていられないと思います。