地図を描く

絶対的休日1日目。


読みかけの本を3冊読了。

1冊はアドラー心理学のカウンセリングについての本。

1冊は中世〜近世のドイツヨーロッパの農村と都市の生活についての本。

1冊はオーストリアの歴史についての本。


少しずつわかってきたことは、ヨーロッパの歴史、特にオーストリアの歴史は、

日本の歴史のように単線で表せるものではないということだ。

常に異質な人々との協同と争いと妥協とがあって、

その異質性は宗教的でもあり文化的でもある。

具体的な生活の仕方でもあり、食べ物食べ方でもあり、

考え方や生き方という抽象的なものでもある。

どこにも共通点がないようで、しかし互いの存在を必要とするような、

例えば、羊飼いと農民の関係のように、

そういう異質な人々と同じ時空で生きていくという

私には想像を絶する世界であることがわかってきた。

島国である日本の農村と都市の違いなどというレベルの異質性とは、まったく違うようだ。



私たちは共同体を考えるとき、自分と同じような人々を想定してしまう。

でもそれでは、共同体感覚を突き詰めて考えるとき、

見落としてしまうことがあると思う。

アドラーは混乱しきった19世期末のオーストリアのウィーンに生まれ育って、

そこで様々な人々の間に起こる問題を目にし体験して、

そこで医師として心理臨床家として教育者として、役立てることを

アドラー心理学として構築した。

アドラーの描いた理想的な共同体は、

もしかすると私たちの暮らす世界が近いところにあるのかもしれない。

それは幸いなことだけれど、

私たちはアドラーの描いた共同体の反対側の、

アドラーの生きた現実の世界を知らなければ、

理想のその先を正確に知ることもできないのではないだろうか。

私たちはぬるい世界に生きていると思う。

一度、厳しい世界を想像する必要があると思う。



このようにレポートで語ったところで、あまり伝わりはしないだろう。

大切なのは、私の体験としてエピソードで語ることだ。

シンポジウムの原稿仕事はまだ未着手。

明日には着手する。

と、ここで宣言しておく。

今読んでいるものは、シンポジウムに直接役にはほとんど立ちそうにもない。

だけど、少しずつ少しずつ、問題が整理されてきたように思う。