冒険としての治療

今日はアドラーの著作のオンライン抄読会でした。

 

今日学んだことは、共同体感覚に向かっている目標を持っているかどうかが

健康度の指標だということです。

どんな目標も所属するためなのだけど、

社会に貢献的に所属するか、破壊的に所属するか、選ぶことができます。

人の幸せは、社会に貢献して所属できたときにはじめて達成できると

アドラー心理学では考えます。

 

貢献的な行動をしていても、目標が自己執着の方向であることもあるんだと知りました。

それから、新しいことを受け入れるということは、自己執着から離れることで、

とても健康的なことだと思いました。

 

エリック・ブルーメンタールというアドラーのお弟子さんの

『The way to inner Freedom』という本に

自己執着を手放さなければ新しいことを学べないと書いてあったのですが、

そのことが今理解できたと思いました。

私がカウンセリングさせてもらっているクライアントさんたちは、

みなさん、毎回新しいことを学ばれて、それをとても楽しんでくださっているように感じます。

こんな考え方があったんですねとか、こういう見方をしてみるのはいいですねとか、

アドラー心理学のものの見方を新鮮に受け止めてくださっています。

その瞬間、私は本当に嬉しく思います。

それは、とても勇気のいることだと思います。

今まで自分が頼りにしていたものの見方を一度脇に置いて、新しい見方を採用するということ、

それは自己執着を手離すということで、

ということは共同体感覚に向かう行動であるということです。

つまりそれは、とても健康的なことだと思うのです。

 

 

不健康な人であれば、はじめて知った新しい考え方を受け入れることをしないでしょう。

「それは確かにそうかもしれませんね、でも…」とか言って、

抵抗を示すでしょう。

それを神経症的策動と呼ぶのですが、つまりは神経症的な行動です。

 

私も含め、誰だって神経症的策動をすることはあります。

自分の行う何が神経症的策動であるかをまず知ること。

そしてそれをよく観察すること。

その目的を考えること。

そういうことを続けているうちに、私はずいぶん神経症的策動が少なくなったと思います。

身体的にとても疲れにくくなったと思いますし、

精神的にも楽になったと思います。

神経症的策動をしているときって、絶対に自分のためだけを考えていると思います。

ということは自己執着に向かっているときなので、

共同体感覚から離れようとしているはずです。

それは不健康なことなのです。

 

 

共同体感覚の反対は自己執着です。

人が健康になる方法は、人が幸せになる方法は、

自己執着を手離して共同体感覚へと向かうことです。

ただそれだけなんだと、わかりました。

 

私に降りかかってくるタスクを、みんなのためにと思って取り組むこと、

そうやっていくことは、私にとってはたいへんなことかもしれないけれど、

私がこの世の中に貢献して所属することになります。 

これは私の意見ですが、自分に何とかできないようなタスクは降りかかってこないのではないかと思うのです。

時にはとんでもないタスクもやって来ますが、

きっとそれは今の私が、ちょっと爪先立ちすればなんとかこなせるようなものだと思うのです。

すべきことをしているとき、私は不安にならないでいれます。

 

 

私がアドラー心理学やパセージを広めていきたいと望むのは、

幸せな世界を作っていきたいからです。

意識して共同体感覚へ向かう人々が増えていけばいいなと思うのです。

 

カウンセリングは、病的なところを取り除くものではないと思います。

健康なところを増やしていく作業だと思います。

どういうことが健康かというと、美しい物語を作っていく力を持つことだと思います。

私のカウンセリングは拙いけれど、

美しい物語を一緒によめるようになれたら、一緒に美しい物語に変えていくことができたら、

そのときクライアントさんは、新しいことを学び、成長されているのだと思います。

アドラー心理学を学ぶ治療的共同体の中で、そういう体験を私はしてきました。

おかげさまで以前より健康になったと思っています。

久しぶりに会うと、私の雰囲気が変わったねと言ってくださる仲間がいるのですが、

多分私が健康になっていっているということなんだと思います。

 

アドラー心理学の治療は、怖いものではありません。

その人の良さを、美しさを、共同体感覚に向かってどうやって活かしていくかを探していく冒険です。

胸を張って、その素晴らしい治療の治療者であると言えるようになりたいです。