ライトトーン

今日はオンライン打ち合わせでした。
それから、他のメンバーで学会のことについて意見を交換し合ったりもしました。


アドレリアンの仲間たちのすごいところは、自分にとってよくない出来事が起こっても、
相手を変えようとしないで、自分を変えようとするところだと思います。
そういう仲間たちを見ていると、私も人を変えようとしてはいけないと思います。
世の中に絶望していてはいけないと思います。
そういう仲間たちと意見を交換していると、
私のやり方、私の考え方、私の思い込みのクセ、
つまりはライフスタイルの偏りが見えてきます。


私がカウンセラー養成講座を受講したときに、
みんなの前で野田先生に見てもらった早期回想があります。
とてもよくない早期回想だったのですが、
昨日、野田俊作ライブラリのライフスタイル分析についての録音を聴いているときに、
ふとその早期回想を思い出して、ずいぶんトーンが明るくなっていることに気づきました。
以下に書くのは、その変化後の早期回想です。


ーーーーー
幼稚園年長のときの遠足で、動物園に行きました。
列になってみんなでゴリラの檻の前に行くと、とても臭くて、
足元にはゴリラのふんがたくさん落ちていました。
ここは嫌だなと思って、早く別のところへ行きたいと思っていたら、
ゴリラが立ち上がって、私にふんを投げてきました。
そのふんが、私の履いていた白い靴に当たりました。
私はものすごく嫌で、先生に、ゴリラがふんを投げてきて靴が汚れてしまったと言いました。
多分半泣きだったと思います。
先生はびっくりして、優しく手をつないで、私をトイレに連れて行ってくれて、
私の靴を綺麗にふいてくれました。
でも汚れは残ってしまいました。
でも仕方がないと思って、先生と一緒にみんなのところへ戻ると、
なんと、そのゴリラの檻の前のベンチやテーブルで、みんなはお弁当を広げていました。
ここでは食べたくないと思いました。
別のところでお弁当食べたいですって先生に言ったら、
ゴリラは怖くないからね、ここでみんなと食べましょうと言われました。
怖くないけど嫌なんや、と思ったけれど、
私は仕方なく、檻から離れたところに座りました。
まずはお気に入りのピンクの水筒から、お茶を飲みました。
今日は散々やな、と思いました。
ーーーーーー

 


自分の早期回想はわかんないんです。残念ながら。
だけど、変化したところはわかります。

 

3年前は、私はゴリラを怖がっていたのでした。
ゴリラにふんを投げつけられるという、ひどい侮辱を受けたと思っていました。
私はこの辱めを受けたことで、とても傷ついていました。
先生は私を助けようとしてくれたけれど、私は助かりませんでした。
そして、ゴリラの檻の前でお弁当を食べるということを選ぶ人々を、
何を考えてるんだと、信じられないと、許せないと思っていました。
私が嫌だと思うことを訴えても、聞き入れてもらえなくて、
汚くて臭いところにいなければいけないこと、
誰にも話が通じないこと、
そんな世の中に絶望していました。
私は黙って一人で絶望していました。
そういう惨めな物語でした。


今は、私はゴリラを怖がっていません。
だってゴリラは檻の中にいて、私を害することはできないから。
たとえ攻撃されるとしても、ただふんを投げつけられるだけに過ぎないのです。
そのことを私はわかっています。
だけどとても嫌なのです。
だって臭いふんを投げつけてくるから。一緒にいようなんて思えません。
先生が力を尽くしてくださっても、靴の汚れは取れなかったし、
私が言葉を尽くしても、お弁当を食べる場所を変えることはできなかった。
世の中ってひどいものだな、と私は思いました。
嫌なものから離れることができないなんて。
だけど、そんなひどい状況でも、
私はお気に入りの水筒で、おいしいお茶を飲むことはできました。
そうやって自分の気持ちを落ち着けて、
ああ今日はほんまに散々な日やなあって、そんな状況に自分でちょっと笑えました。


この早期回想から、世の中にはどうしようもないことがあるんだ、と私は学んだと思います。
そして、そんなひどい状況でも、私には私を救うことができるんだと
今、私は思えるようになったのだと思うのです。
それから、これはひどい状況ではあるけれど、
まだ耐えられるぐらいのひどさだと、思えるようになっています。
そこまで深刻な問題ではないと思えました。
それから、お弁当の時間が終われば、私たちは移動することが決まっているのです。
この状況は長くは続かない。
それは救いだなと思えました。

 

 

他にこの早期回想から気づいたことは、
私は1人で戦う(なんとかしようとする)人間なんだ、ということです。
とても積極的に行動するタイプですね。
それから、言葉を使うことを大切にしています。
まず、ゴリラが怖いだとか嫌だとかいうのは、
言葉が通じない、話しが通じないからなのでしょうね。
そして絶望してしまったのは、言葉が通じるはずの先生に、
私が別の場所へ行きたいという話が通じなかったからなのでしょうね。


そんなことを考えると、私は成長しているなって思えたのでした。
これから私が成長すべきところは、
仲間と生きていくという視点をもつことなのかな。
つまりは、世界観を良くしていくこと。そんな気がしています。