やり残した宿題

今日はカウンセリングと、野田俊作ライブラリのオンライン勉強会でした。

 

ここで仏教系の話題を書くとひじょうにウケが悪いのですが、

私は絶対的全体論者ですので、

アドラー心理学を実践するためには何らかの大いなる存在が必要だと考えています。

私は野田先生が説明してくださるように、

仏教の考え方を取り入れると

アドラー心理学の実践ができるようになってきました。

共同体感覚の反対は自己執着で、

自己執着を手放すということが共同体感覚の実現に向かうということで、

自己執着を手放すということは、私にとっては、仏教の文脈でとらえやすいのです。

 

四苦八苦とは、

生老病死と、

愛別離苦(愛するものと別離すること)

怨憎会苦(怨み憎んでいるものに出会うこと)

求不得苦(求めるものが得られないこと)

五蘊盛苦(肉体と精神が思うがままにならないこと)

だそうです。

今日のライブラリでは求不得苦のことが出てきました。

 

どれも苦しいけれど、

求不得苦については、けっこう手放せるようになってきた気がするし、

愛別離苦については、耐え忍ぶしかないと覚悟しようと思っていて、

五蘊盛苦については、仕方がないことだと思おうとしているのですが、

私は怨憎会苦で自分を苦しめているのだなと気づきました。

私が陰性感情マイナス5を計測するとき、

たいてい「(私と相手とを)一緒にするな!」って思っています。

あるいは、「二度と顔を見たくない!」って思っています。

 

それで、どうやってその感情を落ち着けるかというと、

私がその相手役をどうして怨み憎んでいるかを考えます。

でもたいへん強い、根深い陰性感情なので、私の構えはなかなか変わりません。

そこで、これは前世のカルマによるのだと考えてみてはどうですか?

それは前世にやり残した宿題なんじゃないですか?と聞かれました。

私が嫌う相手は、私が前世でひどいことをした相手なのかもしれないと考えてみると、

今生の私の宿題は、その相手に感謝して、良いお付き合いをすることだと納得できました。

 

これは、アドラー心理学のスピリチュアルセラピーです。

まさかオンライン勉強会でこんなことになるとは思いもよりませんでした。

みなさんもときどき、自分の事例を出されて、みんなで話しあうこともあるのですが

スピリチュアルセラピーは初めてでした。

すべきことはしなければなりません、と学びました。

ありがとうございました。

すべきことをして、私が自分の役目を果たしている限り、

私は共同体感覚に向かっていて、幸せでいられるのです。

 

 

 

今日のクライアントさんは、とても大きな陰性感情を抱いたエピソードをお話ししてくださいました。

そういうものすごく嫌だった体験を語ることは、とても負担のあることです。

勇気を持ってお話ししてくださったこと、とてもありがたく思っていました。

相手に良い意図があることに気付けても、

自分に改善点があることに気付けても、

それでも、どうしても理解しあえないことがあるとき、

大きな陰性感情を落ち着かせることは難しいです。

 

陰性感情を落ち着かせる工夫を考えることも良い方法だと思いますが、

あまりに大きな陰性感情は、ちょっとやそっとでは、

根本的解決にはならないので、制御しにくいように私は感じます。

私の怒りのボルテージがそうとう大きいからかもしれないですが。

そういうときに、四苦八苦のどの苦しみなんだろうと考えてみることは、

私には有効だと思えました。

求不得苦なら、愛別離苦なら、貪るのをやめよう。手放そう。

五蘊盛苦なら、あきらめよう。今あることに感謝しよう。

そして怨憎会苦なら、それが私の宿題だ。

その憎き相手役が、私を最も成長させてくれる恩師なのです。