『価値相対主義の系譜』

今日は野田先生の論文のオンライン勉強会でした。

 

この勉強会ではウィーンの歴史も並行して勉強しています。

やっと!アドラー生誕の5年ほど前までたどり着きました〜!

中世の人たちや、近代に入ったころの人たちの考えは、

あまりに社会のあり方や思想風土が違いすぎて、私には思い至らない気がするのですが、

アドラーは完全に近代社会に生まれ育った人なので、現代人と思想的に連続している時代の人だと感じます。

だからアドラーの考えは、理解できそうに思います。(しかも彼は時代の先を読めた人ですからね。)

 

 

異なる意見の人と、陰性感情を交えずに、

そして自分の意見を曲げることも、相手の意見を曲げることもなく、

あなたはそうお考えなのですね。なるほど。

私はあなたとは違っていて、こう考えています。

という「対話」が、私は最近ようやくできるようになってきた気がします。

何かを決断しなければならないときは、そうやって対話した上で、

どちらかの意見に基づく選択肢か、あるいはまた別の意見に基づく選択肢か、互いの妥協点を探した結果のまた別の選択肢か、

いずれかを選ばなければなりませんが、どの選択肢に決まっても良いと覚悟できるようになりました。

世の中は自分の思い通りにはならないものだし、

自分の意見が絶対に最善で正しいとも限らないし、

この選択肢を決めるに至るプロセスが、対話が、また私の成長の糧になるだろうと

思えるようになったのです。

 

実践的価値相対主義の立場に立てるようになってきたのかな。

とはいえ、自分の私的感覚でもって人を裁いていることもままありますけどね。

でも、ああまた私は実践的価値絶対主義の立場に陥っているぞと気づくと、

そこでストップして、自分の大切にしている価値観を一度相対化して、

どのように使うのがより建設的かな、と考えることができます。

 

私はいつもいつも、価値判断をしているのです。

そのことに自覚的でありたいと思います。

そうすれば、自分とまったく異なる価値観を持つ人たちのことを、悪いとか間違っていると裁いたりせずに、

必要があれば対話することもできるようになるかもしれません。

…私にとっては道が遠いけれど。

でも、そういう目標を立ててみようと思います。