紙背

こういう個人日記をmixi日記に書いていたときは、

公開する人をごく親しい方だけに限定して、たいへんプライベートなことも書いていた。

このブログは、できるだけ公開範囲を限定せず、

誰にでも見てもらえるようにしようと思っている。

だから誰に読まれても良いように、

私の私生活については書けないことが色々とある。

そういう制限の中で書くことで、

他の方の言葉の、文章に表れない余白に思いを馳せることができるようになっているかもしれず、

それは今まで明け透けに語ることを良いと思い込んできた私の子どもっぽさから、

少し成長することにつながっているかもしれない。



次男のお気に入りの『ダイノトピア 恐竜国漂流記』という本を毎日読み聞かせさせられている。

ジェームス・ガーニー作・絵、初版は1992年、フレーベル館、159ページの大判の美しい絵本。

子どもたちは恐竜が大好きなので、

(そういえば私も小さい頃恐竜が大好きだった)

これまでにたくさんの恐竜本を読んできたが、この本は異色である。

1862年、科学者アーサー・ドニソンとその息子が

難破船から、イルカに助けられて打ちあげられたところが

恐竜と人間とが共に暮らすダイノトピアという国だった。

この本は彼らの日誌という形をとっている。

文章はかなり硬くて子ども向きとは思えないが、

この生真面目で詳細なダイノトピアの風土、科学技術や文化についての美しい描写に、

どれだけの大人が興味を持つかもわからない。

ガリバー旅行記にも匹敵するような壮大な舞台で、

旅行記としても成長譚としても素晴らしい物語だと私は思うのだけど、

絶版になっているのは読者層が非常にニッチだったのかもしれない。

もったいないことだ。


ダイノトピアの世界に数日浸っていると、

翼竜に乗って空を飛ぶ人間の飛行訓練生たちや、

恐竜と人間が組になって行う競技や会合やパレードが、

恐竜と人とがいつ出会ったのかという物語を表す遺跡群が、

そうかこれは現実の世界には存在していないんだったな、

とふと溜め息をついている自分に気づく。


私と子どもたちは、続きもぜひ読んでみたいと望んでいるのだが、

読者にそう思わせるほどに、やはり素晴らしいファンタジーだと思う。



日誌には書かれていないことがたくさんあるのだ。

体験したことからエピソードを切り取って文章にする。

アーサー・ドニソンたちはもっと多くの体験をしたのだろうし、

著者はもっともっと多くのものを思い描いたのだろう。

人間の想像力と創造力は素晴らしいと思う。


でき上がった産物は美しい。

だけどそれを作り上げた形のないものたちを、

私が見ることのできないあらゆる形をもたないものたちを、

言葉になる前の、行動になる前の、

人の中にあるものたちを、

私は尊びたいと思う。

言葉にならず、行動につながらなくても、

そのものたちは人の中にあるのだと

信じていたい。

私には想像することが必要だ。

それが優しさなのだと思う。