忙しく過ごしているんだと思う。
オンライン勉強会の担当があったり、新しい勉強会もまた始めたし、
新しいカウンセリングも始まったし、
だけど息抜きに友だちと話す時間と、子どもたちと過ごす時間もゆっくり取っている。
仕事をすればするほど、私は家事を大切なことだと思え、快適な生活ができるようになった。
仕事をすればするほど、お金の管理も大切なことだと思え、計画的に使えるようになった。
仕事をすればするほど、良い人間関係が大切なことだと思え、自分を変えようと思えるようになっている。
この仕事は、私を成長させてくれているようだ。
そんな意図は全くなかったのに。
そんなことばかりして過ごしているようだ。
自由について考えている。
映画「ショーシャンクの空に」で、オペラ「フィガロの結婚」の手紙の二重奏(そよ風に寄せる)が使われる。
主人公である囚人が、刑務所中にこの歌を放送して皆に聴かせるという場面だ。
イタリア語で、自分には何を歌っているかわからないけれど、あまりに美しくて、
こんなに美しい音楽ならば、きっと素晴らしいことを歌っているに違いないだろうと思い、
束の間の自由を感じた、と、主人公の友だちの囚人は語る。
不倫された伯爵夫人が夫を懲らしめるための策略の手紙を小間使いに書かせているところの歌が、この手紙の二重奏。
全然素晴らしいことなんか歌っていない。
美しい音楽は、それだけで価値がある。
人の心は自由なのだと思う。
その美しい音楽の歌詞を素晴らしいものだと思い込む自由もある。
その美しい音楽に浸る間、何ものからも自由になることもできる。
私は、不自由な人々の暮らしに入り込んでいるのだと思ってみようと思った。
不健康な人たちが確かに多い。大変な状況の人たちばかりだ。
でもそこに注目をすることで、自分にできることがもう行き詰まってしまっているように感じていて、
日々彼女たち子どもたちのことを考えていて、少ししんどくなってきていた。
私が行っている「支援」という行動が、果たして本当の意味で役に立っているのかどうか、建設的な行動なのかどうか、上司に相談したりもした。
「確かに言われる通り、建設的で役に立っているとは思いませんよ。むしろ良くない。
でも、今は他にどうすることもできないです。」と、上司も言われた。
我々の行う「支援」が、結果的に不適切な養育の延命をしている。そんなケースが多々ある。
私が彼女たち子どもたちと良い関係を作れたとして、そのことに意味はあるだろうけれど、現実に対して、あまりに小さな変化でしかない。
でもそれはきっと微かだけれど希望だ。
それ以外に私にできることはないだろう。
考えた末にいつもそこに戻ってきてしまうのだけど、今は虚しいと思えてしまう。
でも、不自由な人たちが自由になるために、私にできることがあるかもしれないということは、
今の私には無理なく考えることができる、と気づけた。
幸せになれるとか、協力的な関係を築けるとか、勇気を持って生きられるとか、
そのような明るい未来を、美しい物語を、
私は彼女たちのことを思えば思うほど、描けなくなってしまっている。
人は感覚を鈍らせることが上手いから、そうやってたくましく生きていけるから、
彼女たちだってそれなりに笑ったり冗談言ったりしながら普通の顔をして生きている。
だけど私は彼女たちの物語を真摯に読もうとすると、とても泥水を清水とは言えない。
深いぬかるみではなくて、せめて固まっていて歩きやすいところはどこだろうって、
一緒に探すことぐらいしかできないなと思う。
ここにはあらゆる種類の不自由がある。
そのことに反発できる子どもたちはとても健康だなと思う。
その中でも楽しく過ごせる子どもたちはとても適応的だなと思う。
時々、自分がこの子たちの立場であったらと考えてみる。
それが私の想像を絶していることに、あらためて衝撃を受ける。
こんなに近くにいるのに、目の前にいるのに、私は彼らのことをわかることはできない。
そのことに落ち込み、しばらく這い上がれなくなる。
私はとても自由だ。
しかしその自由は、私が獲得した自由だ。
どのような状況にあっても、もう私は自由のままでいられると思う。
経済的な自由、身体的な自由、言論的な自由、たとえそれらを失ったとしても、
私の心はいつまでも自由であると思う。
だから、私は、彼らがどのような状況であっても、自由でいられるんだということを知って欲しいと望んでいる。
それが信じられるようになった時、彼らは自由になれるし、
そうなった時はじめて、自分で幸せな物語を描けるようになるのだと思う。
心の自由というのは、自分の思いのままになるという意味ではない。
私が選び、私が決められるという意味だ。
ままならない人生を、恨みながら生きていくのか、感謝しながら生きていくのか、それを選ぶ自由だけがあるということだ。
私の人生だって、とても順調なんて言えたもんじゃない。
でも、なんて私は恵まれて、幸せなんだろうと思う。
そして、私は自由だ。