今日は絶対的休日。
すべきことは子どもたちの相手と食事の用意ぐらいで、だらだらと過ごした。
こういう日がたいへん珍しくなった。
何もしない日を堪能した。
私がカウンセラー養成講座を受講したときに、
みんなの前で野田先生に見てもらった早期回想がある。
今回の練成講座の後、オンライン抄読会で仲間と話し合っていてそれを思い出した。
早期回想の物語が、ぼんやりと形になった。
私は、言葉が通じないものが怖いのだ。
そして、通じるはずの相手なのに私の言葉が通じないということに、
とても動揺し、がっかりしてしまう。
言葉が通じない可能性というのは不安につながり、
言葉が通じない相手に対しては怒りを覚え、
言葉が通じなかったということは後悔や悲しみになる。
私の陰性感情は、どれも、私の言葉が通じるかどうかに関わっていそうだ。
つまりは、このことが私の劣等感に関係しているということだ。
私がおしゃべりが好きなのは、
私の言葉が相手に伝わることを快楽と感じるからなのかもしれない。
こうして文章を書き、誰かに読んでもらえることも、
人前で話をすることも、
私はけっこう苦にせず、調子に乗ってやりたがる方だ。
私の言葉が誰かの心に届くことが嬉しい。
以前より少し成長した私は、相手の反応にあまり多くを求めなくなったと思う。
わがままだったなと思う。
私は、相手にも私と同じようにたくさんの言葉で、
どれだけ伝わったか、それがどのように感じられたか、そこから何を思ったか、
たくさんたくさん返してほしいと思っていた。
でも私の言葉が思うように届かなくても、それは仕方のないことだし、
むしろある部分だけでも心に届いたなら、
それがとても有り難いことだと思うようになった。
私の言葉が届いたかどうかは、
相手の目を見れば、相手の体を見れば、相手の返事を一言を聞けば、わかる。
相手が私と同じように言葉を駆使して返してくれなくても、
私たちの心は通い合っていると、感じられるようになった。
相手は私とは違う世界を理解して、私とは違う反応を返すものだから。
そんな当たり前のことに、やっと気づいたんだなと気づいた。
夫は昨日から実家に帰省している。
帰省する前に、私のカウンセリングルームまで乗せて行ってくれた。
私のカウンセリングについて、水を向けてくれた。
夫は家にいるときは子どもたちにかまってばかりで、
私のことについて話す機会がほとんどないのだけど、
私の話を聞こうとしてくれて嬉しかった。
思えば、私は夫に向かって、ずーっと、自分の話ばかりしてきたと思う。
並行して夫も自分の話をしていたけれどね。
ほんとに、よくしゃべる夫婦だ。
でも、お互いに自分の話ばかりしていたかもしれない。
今は一緒におしゃべりできる時間がたいへん短い。
その短い時間の中で、私は自分の話ができないことを不満に思っていたようだ。
でもそれはわがままだったなと思う。
夫の話を聞こうという姿勢に変わってきたと思う。
夫は、私の話を聞こうとしてくれていたことにも気づけた。
今朝、これから義父の施設に行くから、
20分後に電話で子どもたちの顔を見せてほしい、と夫から電話があった。
こんなことは初めてだった。
今までは急に電話で、今義父や義母といるから、顔を見せてくれと言われることや、
1分後に顔を見せてくれと言われることが多かった。
子どもたちが嫌だ〜と返事をしたり、私が電話にすぐに出られなかったり、
もっと以前は私が不機嫌になったり(お気の毒に!)、
どうもうまくいかないことが多かった。
でも今日は20分も前に知らせてくれたから、たいへん余裕をもつことができた。
私は、わかりました!では20分後ね、と機嫌よく返事することができた。
子どもたちも、わかりましたー!20分後だったらいいですよと返事してくれた。
お父さんぼくたちのこと考えてくれたね、これなら助かるねと言っていた。
約束通り20分後に夫から電話がかかってきて、
そして義父に、にこにことした子どもたちの顔を見せてあげることができた。
夫は弱音を吐かない人だ。
そしてどうやら、自分の感情や思いを言葉にするのは得意ではないようだ。
上手に話をする人なので、気づけなかったのだけど。
私の方は、感情や思いははっきりと言葉にしないと伝わらないと思っていて、
わかりあうためには何でも口にするべきだという価値観を持っている。
思いを推し量り合うだけで言葉で確認しないことは、良いことではないと思っている。
でもそのことが、私たち夫婦の間に、問題を起こしていたのかもしれない。
今日、夫は私たちのことを考えてお願いをしてくれた。
昨日、夫は私の話を聞こうとしてくれた。
私はそういう言葉にならない夫の行動から、
私の言葉がきちんと届いていることを受け止めようと思う。
私は私の言葉を伝え続ける。
できる限り私のことをわかってほしいと願うから。
夫は言葉では返さないかもしれない。
でも、きっと別の形で返してくれているんだろう。
私が今まで、そのことに気づいていなかったんだ。
でも最近、少しずつ気づけるようになってきたから、
私たちはお互いに歩み寄って、
互いにとって良いような協力の仕方ができるようになってきたのだろう。
ここに至るまで、11年以上かかったんだな。
相変わらず私は悪妻のままだろうけれど、
明日は今日より少しだけ、夫のことを理解できるようになりたいと思う。