昨日は、午前中にカウンセリング、夜はアドラーの著作のオンライン抄読会でした。
練成講座から帰ってきたその翌朝にカウンセリング、
(しかもカウンセリング下手やなあ〜という劣等の位置に落ちた状態で)
自分で予定を決めていたのですが、私にとってはチャレンジングなことでした。
そして、ちゃんとカウンセリングをしました。
クライアントさんを勇気づけることができて、クライアントさんに良いことを学んでもらえて、
相変わらずの下手くそなカウンセリングだったけど、今の私にできる精一杯はできたと思います。
美しいカウンセリングにはほど遠い。
でも、昨日の私よりはほんの少しだけ、成長したカウンセラーだったと思います。
こうやって場数を踏むことでしか私の理想へ近づくことはできないのでしょう。
道は誤っていないと思います。
私を必要としてくださる方が来てくださる限り、私は応えていこうと思います。
練成講座の旅の3日間は、
講座の中での学びも本当にたくさんあったのですが、
仲間と話す一言一言から、一緒に過ごした一瞬一瞬から、
たくさんの気づきを得ることができました。
クライアントをさせてもらったことによる学びが、体の中に広がっていったようです。
私に降りかかるすべてのことを怖がらずに受け止めてみようって、
自分の姿勢が変わったように思います。
私は講座に参加するときって、いつもいっぱいいっぱいだったんです。
講座中は頭が回転しすぎて忙しいので、
他のことなんて考えたり感じたりしてる余裕なんかないわって思って、
私は色々なことを遮断しようとしていたと思います。
今回の受講は、違いました。
まず、仲間に会えるということが、一番だったのです。
それが嬉しくて、
またこうして同じ場所で同じ時間を共にして学べるということが
奇跡のようなことなのだと、
たった一度だけのことなのだと、
私はわかったのだと思います。
だから、色々なことは起こったけれど、
どうにもできない悲しいことに向き合わなければいけなかったし、
自分の劣等感に向き合わなければいけなかったけれど、
落ち着いて受け止めることができたのかなと思います。
未来はどうなるかはわからないから、
今を、輝いている今を、
やがて思い出に変わってしまう今を、精一杯感じようと思いました。
私は怖がりなのです。
なぜ今までの講座中、自分に起こる全てを受け止めよう、受け入れようとできなかったかというと、
そうすることが怖かったからなのだと思います。
何故怖かったのか、何が怖かったのかは、
今はまだ言葉にしないでいようと思います。
私は思考の大きな人間なので、きっとそこに名前を付ければ、
またその名前に含まれないものを見ないようにしようとするだろうから。
これは、これから私がカウンセリングやライフスタイル分析を受けていく中で
少しずつ学んでいくべきことなのだと思います。
私は自分の理解できる範囲内の世界で生きているのです。
それが安全だと思い込んでいるからなのかなって、気づきました。
でも、安全だとわかっていれば、新しい世界を知って、
そうやって自分の安全な世界を広げていきたいと思っているみたいです。
このライフスタイルの子供っぽさは、
どうにかすれば安全が確保できる方法がある、と思い込んでいることでしょうね。
世の中に安全なんてありません。
人間が客観的に確実に言える事実なんて、ないのです。
これは科学の常識です。
だから客観的な100%の安全はありえません。
みんな、自分の主観的な安心を根拠に、安全を想定しているだけなのです。
その現実を受け入れようと思います。
クライアントさんたちは、この怖がりで小さな私を信じてくださった。
安全が確保できないこの世界の中で、私との関係の中で安心を感じてくださった。
私もこの不完全な世界の中で、
安全第一を手放して、
私の頭が想定する以上に、素晴らしくてとんでもない世界を感じてみようと思います。
たくさん、目をつぶりたいことはあると思います。
でも、私は今現実から目をつぶっているとわかっていて、目をつぶろうと思います。
それは怖がりな私にできる、せめてもの誠実さだと思います。