静かな旅

荷造りが完成!

かなりの達成感である。

前にも書いたけど、私は荷造りも苦手で嫌いだ。

でももうあとは出かけるだけ!

週末の練成講座がとても楽しみだ。

そして明日、会いたい人たちにお会いできるのもとても楽しみだ。


この荷造り嫌いも関わっているのかどうなのか、

私は旅行が好きという人たちの感覚がわからなかった。

小さいときは別にして、どこかに旅行に行きたい、と思ったことはあまりない。

今は国内のあちこちに頻繁に出かけるようになったけれど、

それは野田先生や優子先生の講座を受講するためであったり、

日本アドラー心理学会の総会に出席するためであったり、

あとは帰省するためであるので、

誰かに会いに行くことが目的だ。

で、その出かけた先で会える人には会っておきたいと思うから、

誰かに会うスケジュールでいっぱいになって、

遠くまで行っても、観光することはない。

むしろ、こちらに来ていただいたときに、地元を観光案内するぐらいだったりする。

それで私はたいへん満足して充実している。


だいたい、観光地が好きじゃない。

綺麗な観光名所へ行っても、

振り返ったところにはお土産物屋ののぼりがあって、大型バスが並んでいて、スピーカーからは大きな音でラジオが流れていて、

全然雰囲気ぶち壊しじゃないかと思ってしまう。

そんなもののために私は大変な荷造りをして(←まだ言う)、

遠路はるばるやって来たんじゃないぞって(←乗り物酔いしやすい)、

ものすごく陰性感情を持つ。



子ども時代に、家族旅行であちこちに連れて行ってもらえたことはとてもありがたく思う。

多分私の両親も観光地然としたところはあまり好きじゃなかったのだろう、

静かな、ゆったりしたところで過ごしたことが楽しかったと、よく思い出す。


私の両親は旅行が好きな人たちだったのに、私は旅行が好きにならなかった。

私はその代わり、旅行記が好きになった。

インドや東南アジアの旅行記(主にバックパッカーもの)とか、

イギリス旅行記(主に林望の本)とか、

アフリカとか中国とかロシアとか(主に椎名誠の本)。

楽しく読んで、すぐに忘れてしまうから、

私は外国のこと何にも知らないままだけれど。

どちらかというと、私は場所に興味があるんじゃなくて、

その場所でその人がどんな体験をして、どんな風にものを考えたか、

ということに関心がある。

そして自分では、そんな(大変な)体験をする気はなくて、

移動もあまり好きではなくて、

何せあまり体力もなかったものだから、

なるべく自分の馴染みの場所に留まって居たいと思う。



そういえば私の夫も旅慣れた人だ。

新婚旅行はイタリアのフィレンツェとローマに連れて行ってくれた。

美しかったホテルの庭や、美術館のことばかり思い出す。

私が気にいるような静かな旅を計画してくれたこと、とてもありがたく思う。

夫はローマの遺跡群を散策しながら、

私には見えない様々な歴史的エピソードの場面に思いを馳せ、静かに楽しんでいた。

私たち夫婦は、そうやって自分の世界をそれぞれに楽しみながら、

現実の生活を共にしていく、

同志のような関係だったようだ。はじめから。

世話を焼いたり焼かれたりという関係ではない。

だけど、多分私の大事にしていることたちを、一番、そのまま大事に、そーっと扱ってくれるのは夫だと思う。

きっと夫は、私がもしも万が一アドラーから興味を失ったとしても、

他の様々なものに興味を持ったり失ったりしても、

何も変わらず私とつきあってくれるだろう。

そして新しく私が興味を持つものを、そーっと大事に扱ってくれるだろう。

また、おそらく私もそうだろうと思う。

夫の趣味は私の興味と違うところにあるが、それを大切にしたいと思っている。




万葉集を知ってから、犬養孝先生がしておられたように、

全国の万葉歌碑を巡る旅は、素敵かもしれないと思うようになった。

歌に詠まれた風景を感じることができれば、よりその歌を味わうことができるだろう。

万葉人たちが生きたくにを、私たちが受け継いできたということ、これからも継いでいくということ、

それは子どもたちにも伝えていきたいと思う。


私たちの家族は、長期休暇などはそれぞれの帰省でスケジュールがいっぱいで、

どこかへ旅行に行ったことがない。

いずれ行くとしたら、静かな旅へ出かけてみたいと思う。

おそらく夫も、子どもたちも、そういう旅を好む人たちのようなので、

きっと私も楽しく過ごせるだろう。



明日は、鞄にたくさんの本をつめて、1人静かな旅を楽しんできます。