俯瞰する

今日はプチパセージのつもりが、いつものメンバーさんと2人会でした。

パセージを使った援助の仕方を、事例に基づいて考えたり、

グループを動かすときに気をつけることについてなど、

今日もまた色々なことを学び合うことができました。ありがとうございました。

 

多分私はそうとう厳しくて、許容範囲の狭いタイプです。

パセージリーダーのペルソナのときは、かなり寛容になれるように気をつけていますが、

それは私本来がかなり不寛容な人間なので、

それで仏さまのお力をお借りする必要があるのです。

 

基本的にパセージ受講メンバーさんは、

アドラー心理学を学びに来られたわけではなくて、

より良い育児の方法を学びに来られているので、

メンバーさんがアドラー心理学でない考え方に固執していても、

それをどうこうしようとは思いません。

不適切な行動に注目関心を与えない、という線で徹底します。

その代わり、少しでもパセージの考え方や実践に沿うようなことをおっしゃったとき、

他のメンバーさんのために協力的に働きかけてくださったとき、

他のメンバーさんを勇気づけてくださったときなど、

たとえどんなに小さなことでも、正の注目を与えます。

こうやって所属していくんだということを実感していただけるようにします。

 

リーダーのすべきことは、あらゆる行動をパセージの実践であるようにすることなのかなと思います。

これは、とても厳しいです。

もちろん100%絶対になんてできませんが、私はそれを目指したいと思っています。

パセージはメタ構造なのです。

私がメンバーさんたちに対して働きかける行動は、すべてが、

メンバーさんたちが子どもさんに対して働きかける行動のモデルとなれるようにすべきです。

メンバーさんたちが、パセージの場で、

心理面の目標を達成し、行動面の目標に向かって行動していけるように、

リーダーは存在しているのだと思います。

 

だから、メンバーさんが子どもさんに対してどんな行動をとっているかということを、

パセージの考え方に沿って検討しなければなりませんが、

必ずしもその検討した内容を、メンバーさんに伝える必要もないんだろうと思います。

メンバーさんの適切なところをまず、探すこと。

そして、リーダーである私に何ができるかなって考えること。

いつだって選択肢は複数あります。

そのエピソードを取り扱うこともできるし、取り扱わないこともできます。

適切なところだけをお伝えして、取り扱わないことだってできます。

いつだってリーダーは、迷いなく道を選択していかなければいけません。

でも、きっとどの道を選んでも、その道なりの良い学びが得られるはずです。

山の頂上へ辿り着くルートは、いつも複数あるのですから。

大切なのは、その頂上にある目標に向かっていること。

 

 

私がこれらのことを思うようになったのは、カウンセリングの勉強のおかげです。

パセージリーダーは、メンバーさんたちがたくさんたくさんヒントをくださるので、

言ってしまえば、パセージってこうだよねっていう感覚だけで、

出された意見を上手に拾って行けば、正しい道を進んでいけると思います。

進行マニュアルだってありますし、リーダーのやることはすべて決まっていますからね。

でも、カウンセリングの場合は、もっと個別的にデザインしていく必要があって、

それに他のメンバーさんからの手助けもありませんから、

全部自分で、次の手、その次の手、その次の次の手、と、

自分の手による相手の手を推測しながら、

どこの道を選んで行くのか、瞬間瞬間、決断し続ける必要があります。

また、目標の設定も、かなり細かく調整していくものだと思います。

だから、カウンセリングでは、

今、全体のシナリオの中のどこに自分たちがいて、

自分は何を目的にこの言葉を発していて、

クライアントさんには何を学んでもらうのか、

ということを、常に意識している必要があります。

そういうカウンセリングがうまく進んでいくためには、

常に私とクライアントさんの間に、相互尊敬・相互信頼・協力・目標の一致という

良い関係が築かれ、保たれていなければいけません。

 

 

そういうことがなんとか身についてきて、

そこからパセージを俯瞰してみると、

結局パセージも同じだな、とわかったのです。

私の瞬間瞬間の働きかけが、一挙一動が、

メンバーさんたちに影響を与えてしまうから、

すべてがみなさんの良い学びにつながるように制御すべきことなんだ、と。

 

だから、上に書いたことは、

普通にパセージリーダーをする分には、必要のない考えかもしれないと思います。

でもそれは、「テキストとメンバーさんを信じること」

「パセージは共同体感覚を学んでもらう場である」

「このパセージの場がメンバーさんの居場所になるように」

という野田先生の言葉を、今の私なりに解釈したことです。

カウンセリングの勉強をしたことで、私はパセージのことがよくわかるようになったと思っています。

本当に良かったと思っています。

 

それで、この厳しい私の色々な考えを、面白いと受け止めてくださって、

もしかしたら私の熱量を上回るかもしれないような熱意でもって

一緒に学んでいこうとしてくれる方に出会えて、

本当に嬉しく思っています。

私が学んでいくことに、意味を与えていただいています。