今日はプチパセージと、オンラインの野田俊作ライブラリ勉強会でした。
コロナで活動できなかった間、まったくパセージリーダーやカウンセラーの立場にならなかったので、
活動再開した日の自助グループの日は、プチパセージの内容だったし、
ものすごくエネルギーを使いました。
でも、最近鬼のようにプチパセージをさせてもらえているので、だいぶ慣れました。
場数を踏めて、ありがたいと思っています。
1人ではリーダーのお稽古ができませんからね。
オンライン勉強会で、アドラー心理学の基礎理論やエピソード分析の事例検討、
野田先生の講演や、アドラーの著作、
それらを仲間と学び合うことで、
私の考え方がきちんとアドラー心理学の理論と技法と思想に沿うものになっていっていると思います。
もちろん私の理解はどこまでいっても完全ではありませんが、
仲間の体験や考えを聴き、そして仲間が学んできたことをシェアリングし
お互いに話し合うことで、
私一人では体験できない知恵を身につけていっているのではないかなと思います。
そしてそのことが、私が実際にお会いできる自助グループのメンバーさんたちのお役に立てているのなら何よりです。
いつも二重構造なのかなと思うのです。
私はグループを相手にするとき、グループを一つのものとして扱います。
グループを構成するメンバーによって、まったく動きが違います。
場を制御するのはリーダーのひとつの役目です。
でもそのとき同時に、メンバーさんおひとりおひとりと私の関係というものも作っていっているのだと思います。
私とおひとりおひとりとの物語が、作られているのです。
その物語は、その方にとって、良い人間関係のモデルになるような物語であればいいなと思います。
私は、たくさんの欠点を持ち合わせた不完全な人間です。
でも、パセージリーダーになっているときだけは、カウンセラーになっているときだけは、
相手に良い影響を与え続ける存在でいるべきです。
リーダーやカウンセラーの、技法と構えを学んで修行することによって、
私はリーダーやカウンセラーのお作法を身につけました。
今私のところへ来てくださる方たちに対しては、リーダーとして良い対応ができているのだろうと思います。
でもそれは私が良い人だからではないし、ありのままの私なのでもないし、
それから、私が良い関係を作れなかった人たちは来られないはずなので、
私が良いリーダーであるかどうかも、決してわかりません。
でも、いつも、この瞬間瞬間を大事にしたいなと思います。
自助グループやパセージの中で、私にできることは限られているけれど、
その範囲の中でできるだけのことをするのがリーダーの役目だと思っています。
私のお手本は、私のサブリーダー研修をしてくださった大竹優子先生です。
パセージの技法についてはもちろんなのですが、
優子先生のメンバーさんに対するあらゆる行動から、
そして私に話してくださったこと、私にしてくださったこと、
言語化できることできないことのすべてから、私は学びました。
とうていたどり着けない目標だとわかっていますが、
そうわかりながら、私は優子先生のようになりたいと思って努めています。
良いモデルを持っていることは、道に迷うことがないので、
不安になったり怖くなったりしないでいいのです。
自分の不甲斐なさに落ち込むのは、自分の問題です。
そこに落ち込む必要なんて、本当はないんです。
人は失敗して、そして学んで、上達していくものだから。場数がいるから。
私は結局、目標に向かって生きていくのです。
だったら、落ち込んでいるのは無駄なエネルギーの浪費です。
そうやって自分の劣等感を乗り越えていくという修行が、
リーダーとしての修行と同時進行で続いていきます。
自助グループやパセージの最中に、あるいはメンバーさんの対応について、
おや、これはどうしようかなと思ったとき、
もしも優子先生だったらどうするかな?と私は考えます。
優子先生なら、きっと、まずはそのメンバーさんの適切な側面について注目をされるだろうな。
メンバーさんの物語をメンバーさんの立場に立って、受け取ろうとするだろうな。
このメンバーさんが今学ばれるとよいことは、ここだなと思うだろうな。
それを学んでもらえるように、それを実践できるように、
たくさんたくさん勇気づけをされるだろうな。
そんなことをいつも考えています。
私は私のままでは、役に立つリーダーではいられないのです。
私の意見はしょせんは視野の狭いものにすぎません。
私がリーダーとして役に立てるためには、
アドラー心理学を、野田先生が洗練した型にして、
その型通りに動かれる優子先生というモデルを通して、
その型を守っていくほかにないと思うのです。
しかもその優子先生は、「私はパセージは苦手なんです」っておっしゃったのです。
「仏さまのお力をお借りしないと、私はパセージリーダーにはなれないのです」と。
このことが、私がサブ研のときに学んだ一番大切なことだと思っています。
人は、人を救うことなんてできないのです。
でも仏さまや神さまのお力をお借りして、アドラーという巨人の肩に乗ったら、
人は人のお役に立てるかもしれない。
私には決して追いつけないような優子先生がそのようにおっしゃるのだから、
私がこの小さな自分のままでお役に立てるわけがありません。
私はとても傲慢なんです。
それが私の乗り越えるべき課題なのです。
にわかには信じがたいほどの謙虚な優子先生をモデルにしたいのは、
私が少しでも美しくなりたいからなのです。
今、自助グループで私と共に学んでくださる方が増えているのはとても嬉しくて、
本当に幸せなことです。
しかし同時に、私にとっては大きなタスクでもあります。
私は傲慢になっていないかな?
私は自分の分をわきまえているかな?
もしも優子先生だったらどうされるかな?
自己点検をして気をつけていたいです。