私は世界を救えない

パセージの受講をためらわれる方がいらっしゃるのは、当然のことだと思います。

世の中には怪しいセミナーが多いので

子育ての勉強会で2万円と聞くと、ちょっと待てよと思うでしょう。

ただ、パセージは8週間通しのコースなので、

1ヶ月あたり1万円のお月謝と考えると、

まあ大人の習い事はそんなものではないか、とも思えます。

この値段は、日本アドラー心理学会で設定された価格です。

(本当のことを言うと、リーダーの裁量で若干上げたり下げたりしてもいいらしいんですが、

この設定を外れたところのどの辺りに適正価格があるのかわからないので、

私は設定価格を守ることにしています。)

 

子育て中のお母さんにとって、2万円ってちょっとまとまったお金だと思います。

たとえば子どものためには出せても、自分のことには出しにくいというお母さんも多くいらっしゃると思います。

私はアドラー貧乏で、(専門用語です 笑)

これまで数々の講座と交通費と宿泊費を夫に払ってもらってきたので、

夫に受講費をおねだりする難しさはわかっているつもりです。

私の夫は嫌な顔ひとつもせず、

(ただ帰省のスケジュール調整だけが問題で)

快く送り出してくれ、お金も払ってくれ、

そして子どもたちの留守も引き受けてくれる、とっても協力的な夫ですが、

それでも私は若干の引け目というか、申し訳なさを感じていましたので。

自分がパセージを開催できるようになって、

やっと自分で受講費等を払えるようになって、自由を手に入れた気分です。

経済的な自立って、とてもいいものなんだなあと知りました。

 

一方で、経済的にある程度自立しておられる働くお母さんたちは、

今度は、8週続けての受講というのが難しくなるわけです。

休日や夏休みの開催となると、子どもさんの託児の必要が出てきたり。

それで、リーダー含めて6人以上でなければ開催できないのですから。

もうほんとに、パセージ開催に至るにはハードルだらけです。

全国にパセージリーダーさんがいらっしゃって活動されていますけれど、

各地で開催が延期になったという話を聞きます。

プチパセージや自助グループをがんばって工夫しながら、ひたすら忍耐です。

 

 

パセージを受けられる人というのは、このように、

お金と時間にある程度の余裕のある方に限られてしまうのです。

これは、裏返せば、

経済的にも時間的にも苦しくて、大変な思いをしながら子育てをしている方が、

パセージを受けることができない、ということです。

社会的なセーフティネットとして働いておられる方々からすれば、

パセージを良いものだと、もしも思ってもらえれば思ってもらうだけ、

この条件について不満が出てくるかもしれません。

2万円って高いよね、8週間って長いよね、2時間半って長いよね、

それで受講をためらわれる方を見聞きするたび、

社会的な支援としてあるべき姿をとれていないのかな、と思うことがありました。

 

でもアドラー心理学とパセージを深く学んでいくうちに、

世の中には色々な考え方があって、それで全体としてバランスを取っているものなんじゃないかと思うようになりました。

その高い受講費と、長い日程と、長い拘束時間を費やしてでも、

学びたいと思ってくださる方に届けられたら、まずはそれでいい。

私はまず、その投資に見合うだけのよいものを提供できるようになるべきなのです。

「受講前はちょっと高いなと思っていたけれど、これで2万円は安いと思いました。」

と言ってもらえたとき、役目が果たせたなあと嬉しかったです。

その上、この方はもっと学びたいからと、再受講もしてくださったのです。

 

私は、私のできる範囲の中でしか役目を果たすことはできないのです。

もっともっと能力を高め、何でもできるようになれたらいいですよ、

でも絶対に不可能な目標を目指すのって、多分不健康なことなのです。

パセージは受講条件が厳しいです。申し訳ないことですが。

ですが私にはそれはどうしようもありません。

この厳しい条件は、それだけの理由があって作られているのです。

私よりもずっとずっと賢い開発者の野田先生がそのように設定されて、

このプログラムが始まって以来、全国でその設定で開催されてきて、

全国のどのリーダーのところで受講しても、きちんと学べるように、

品質が保てるようにしてあるのです。

 

そこを曲げて、

たとえば内容を少なくして、日数を短くして、受講費を安くして、

より多くの人の手に届きやすいようなものを提供したとしても、

それはパセージではないのです。

それはパセージでないものとして、そういう類のものがあってもよいと思うけれど、

それならば、パセージに類似のものとして提供してはいけないと思います。

私がずっと以前から、昨今のアドラー心理学ブームに反感を持っているのは、

より受け入れられやすいようにした結果、アドラーじゃなくなってるよというところです。

多くの学者や教育関係者など、実際に「物」を作っていない人たちは、

まがいものがどれほどオリジナルのものに打撃を与えるか、わかっていないように思います。

物作りに携わっている人は、そのまがいものの恐ろしさは、

肌身に感じてわかると思うのですが。

 

パセージというコースは、

リーダーの裁量に任されるところがとても大きいですし、

毎回毎回事例という生物を扱うので、より一層「物」らしく思えないのですが、

お金をいただく商品であるので、パセージの型は、必ず守らなければならないと思います。

リーダーの動きであったり、言葉の使い方であったり、

細くてうるさいことだけれども、

これは先生や先輩方から伝授した通りに、守っていかなければならないことだと思うのです。

「型」は「物」でないから、見えないものだから、

それはリーダーにしか制御できないものだから、

どれだけ気をつけても気をつけ過ぎることはないと思います。

 

 

きちんと品質の保たれたパセージであれば、

受講したメンバーさんは、きっと子どもさんや家族を勇気づけて、協力して暮らしていかれるでしょう。

そのメンバーさんが関わるたくさんの人々と、良い関係を作っていかれるでしょう。

そうやって勇気づけられた子どもたちや大人たちは、

自分と関わるたくさんの人々と、良い関係を作っていかれるでしょう。

そうやって、良い関係を作っていくことが連鎖していって、

よりよい社会が、幸福な社会が作られていくでしょう。

そうなっていったとき、

経済的に困窮し、不幸な家族関係に苦しめられている人は、

ほんとうに少なくなっていると思うのです。

セーフティーネットは必要です。

そこで働く方々は素晴らしいことをされていると思います。

私にはとてもできないことです。

だけど、今ある不幸を取り除くという発想からは、いつまでも根本的な問題解決はできないように、私は思います。

応急処置としてはもちろん必要だと思うのですが、その先については、

私たちはもっと積極的に、幸福なイメージを作り、幸福な人々との関係を作っていくべきだと思います。

それが、遠いようでいて、一番の近道だと信じています。

 

私には人を救うことはできないのです。

メシア願望といって、アドラー心理学ではこれも1つの不健康なライフスタイルとしてあげられています。

私にはメシア願望がありました。

でも、これを捨てたとき、私には仲間ができたのです。

私は私を救うのです。

誰もが、自分で自分を救うしかないのです。

そして私たちは、アドラー心理学を使って、

自分で自分を救うための方法を学ぶお手伝いをしようとしているのだと思います。