私がなぜアドラー心理学を学んでいるかという話になると、とても長くなります。
自助グループに初めて来られた方などには、
自己紹介としてごく簡単にお伝えするのですが、
私が小学生の頃から、母がアドラー心理学の育児コースを学び、
そのまま勉強を続けて、カウンセラーとして仕事もするようになっていって、
そんな母の門前の小僧として、アドラー心理学を批判的に見ていました。
それで、私が実際に自分で学ぶようになったのは、
長男が2歳ぐらいのとき、子育てに困って、
ああこれは自分でパセージ学ばなきゃしょうがないな、と思って学び始めました。
というのが、簡易バージョンの説明です。
ですが、それは子育てという面から見た場合の説明です。
実際には私は、もっとアドラー心理学の思想的なところに深く共感して、
アドラー心理学を学ぶようになりました。
母は自宅で自助グループを開いていましたし、いろいろな話をしてくれましたし、
野田先生の本やアドラーの本も家にありましたから、読んでいました。
そうやって母の勉強を傍で見ていて、
私自身もアドラー心理学っていいなと思うようになったのは、
中学3年生のときでした。
総合学習か何かで、好きなテーマで調べてレポートを書くというときに、
アドラー心理学の理論の概要をまとめたことがあります。
それから、高校1年生のときに文系か理系かの選択をするときに、かなり迷いました。
文系の方が得意だったのですが、
生物系に興味があったので、無謀な挑戦として理系に行くか、
もしも文系に行くとしたら、心理学を学びたいけど、どうしようかと。
でも、日本の大学ではアドラー心理学を学ぶことはできないということを知って、
アドラーでない心理学なんてまったく興味が持てなかった私は、
文系の選択を捨てて、理系に進むことに決めたのでした。
2年生から理系に行くと、見事なまでに劣等生になりました。
得意だった科目は、現代国語と倫理社会でした。
この2つだけは、極端に良くできました。
数学と化学が全然ダメで、生物と英語がまあまあで、
予想通り浪人して、長いこと受験勉強させてもらいました。
高校3年生の最後ぐらいから、大学に入って何をするかということを考えるようになって、
農学部に行って、食糧問題を解決できるように学びたいと考えました。
そして縁あって、食糧問題について考える研究室に所属しました。
担当のS先生のご専門は、農法史です。
農業の方法の歴史的変遷についての学問です。
ここで、歴史的に現代の問題を考えるということを学びました。
結局卒業論文のテーマは、農学の哲学の歴史というものをやっていました。
おかげで、経済学の歴史や、哲学の歴史や、現代思想について、
大雑把な地図を手にいれることができました。
私の問題意識は、ずっと変わらなくて、
どうやったら人は幸せな社会を生きられるのか、ということでした。
その手がかりを、受験生のときは食糧の問題だと思っていました。
大学生のときは、思想の問題だと思っていました。
それで、ちょうど長男が2歳の頃だったのですが、
日本アドラー心理学会の総会のシンポジウムで、
アドレリアン2世から見たアドラー心理学を学ぶ親、というテーマで、
シンポジストになることになりました。
そのシンポジウムの準備で、自分のこれまでを振り返ったり、
同じようにアドラーを学ぶ親に育てられたアドレリアン2世の仲間と話し合う中で、
ああ私はアドラー心理学のことをまだきちんと知らないんだな、と気付きました。
私は、アドラーなのかアドラーでないのか、ということについての嗅覚はあって、
かなり正確に判別できるのです。
それはアドラーで育てられた子どもたちに共通のことのようです。
でも、私は、自分の身に起きたこと、母の変化については語れるけれども、
アドラー心理学って何?ということを、言葉で説明することはできませんでした。
私は学んでいなくて、わかっていないからです。
それまでに母と一緒に、野田先生や、他のアドラーを学ぶ人たちのお話を聞いたり、
おしゃべりさせていただく機会はたくさんあったけれども、
野田先生や他の方たちの言葉を、私はちゃんとわかっていなかったのです。
だから自分で学んで、ちゃんとわかりたいと思いました。
それで、野田先生のアドラー心理学基礎講座理論編を受講したのです。
その日が、私がアドラー心理学を学び始めた初めの日です。
その数ヶ月後にパセージを受講しましたので、
実は理論編の受講の方が時系列では先で、
しかも子育てうんぬんというのは、嘘ではないけれども、私の人生においてのウェイトは低いのです。
理論編を受講して、
それまで私が学んできたことが、正しい位置におさまった、と感じました。
アドラー心理学の思想でなければ、
この現代の問題を解決することはできないのだと確信したのです。
問題点ばかりを探し出して、あれが悪いこれが悪いと言い募るけれど、
それで私はいったいどうすればいいの?という私の疑問には、
答えをくれませんでした。
ところがアドラー心理学では、すべては個人が決断していて、
この世界の有り様は個人の見方に依るのだというのです。
だから私が、人々と協力して生きていこうとする努力は、
人々が協力して生きていく世界を作ることにつながるんだと。
私は不完全な人間だから、完全に協力的に生きることはできないだろうけど、
それを目指して生きていくことができるし、
そうやって叶わぬ目標を追い続けるのが人生だと。
アドラー心理学が解決できるのは、ただ自分の作り出す人間関係だけであって、
この世の中にはどうしようもないことがある。
それはどうしようもないんだ。
そんな運命の中で、私がどう生きていくかが、問題なんだ。
私がどのように自分の役目を果たし、人々のお役に立っていくかが問題で、
そのように生きていく人たちが作る社会は、きっと幸せな社会であるだろうと、
そのように信じられるようになりました。
そのために、アドラーは教育の問題を重視しているのです。
未来を作る子どもたちが、自分の能力を生かして役目を果たし、
人々と協力し合って、よりよい社会を作っていけるように、
そのように子どもたちを育てていかなければならない。
だから母親たちに学んでもらいたい、学校の先生たちに学んでもらいたい。
そういう流れがあって、パセージという育児学習プログラムがあるわけです。
私の関心は、実は子育ての方ではなくて、思想の方にあるのです。
どうやったら人は幸せな社会を生きられるのか、ということ。
この私の関心は、ずっと昔から、
通奏低音のように響き続けていて、変わらないのです。
アドラー心理学は臨床心理学ですから、臨床の現場でもとても有効です。
それはもちろんです。
アドラー心理学の技法、治療についても、今は私はとても関心を持っています。
アドレリアンセラピーの良い治療者になりたいと思うし、そうなれるよう努めています。
ですが、私が、アドラー心理学をなぜ学ぶのかと問われれば、
その思想に、心から共鳴するからです。
ただ私と子どもとの関係が良くなるだとか、
ただパセージのメンバーさんと子どもさんとの関係が良くなるだとか、
ただ私のクライアントさんが健康になるだとか、
そのような目的のためだけじゃないんです。
人間の未来を唯一照らすことのできる、
この暗闇を照らす、ただひとつの灯火だと信じているからです。
だから、学び始めてからの私の熱量はものすごい高かったです。
アドラーって楽しいね〜、とか、アドラーっていいですね〜、とか、
そんな、何を生ぬるいこと言ってんねんって、
講座などでご一緒する、楽しく学び続けている方々に対して、
私はものすごく陰性感情を抱いていました。
はい、反省しています。
「あなたは熱量が高すぎる、温度が高すぎる」って、
パセージリーダー養成講座のときに、野田先生から忠告されたぐらいです。
「そんなんだったら、メンバーさんたち火傷しちゃうよ」って。
ほんとにね。
何を学ぶか、何を目的として学びに来られたか、
それはひとりひとり、違うはずです。
何を学んで持ち帰って、何を実践されるかも、
それはひとりひとりが決めることです。
私がアドラーの思想に心酔し、
たとえ他の誰もがアドラー心理学に見向きもしなくなったとしても、
私がこの道を歩んでいくことが自由であるように、
アドラー心理学に出会った人びとが、
アドラー心理学に対してどのように態度決定しようとも、
それはまったく、自由なのです。
そのあたりが、私がきちんとアドラー心理学の思想と理論と技術とを
身につけていなかったところなのだと、今は思います。
そうではあるけれどね、
私と出会ってしまった人には、
どうか、アドラー心理学を使うことで、
少しだけでもいい、幸せになったという実感をしてほしいなと、
欲深く思うのです。
だってそのために私は学んでいるのだから。