今日はまたひとつ、野田俊作ライブラリーの文字起こしが出来上がった!
約45分が4ファイル分。今回もなかなかの分量だった。
これだけの分量を、そして内容はたいへん濃厚で、
手元に原稿もなく、言い淀みもせず、ずーっとお話し続けておられる野田先生がすごい。
関西弁ネイティブという特質を活かして、
私は野田先生のおっしゃった言葉をほぼそのまま、文字にしている。
普通、私たちがしゃべっている言葉は、そのまま文字にすると、
それだけでは意味が通らないことが多くて、若干の修正が必要なものなのだけど、
野田先生の言葉はそのまま文字にできる。
質疑応答など、完全にアドリブのお話のときであっても、そうだ。
どれだけ頭がクリアなのかということに、おそろしくもなる。
私はいわゆる聴覚型なので、こうして流れていく言葉をつかまえていく作業を、
苦痛なく続けることができる。
本を読むのも、とても好きだ。
そうやってずーっと言葉をインプットしてい続けられたら、
どれだけ快楽であるかと思う。
でもそれだけやっていては、たとえそれがどれほどためになる内容であっても、
私にとっての成長にはならないのだと、わかった。
私が私の言葉でアウトプットしなければ、その言葉は私のものにはならない。
勉強会や自助グループやカウンセリングで、
私が相手の話を聴いて、何か役に立てるように働きかけるときに、
私の引き出しの中に蓄積されている言葉は、
きちんと私のものになっていなければ、取り出して使うことができない。
なるほどね、私は物の管理は苦手だが、
言葉の管理は上手になってきているようだ。
パセージ向けの言葉、逸話、作戦。
カウンセリング向けの言葉、逸話、作戦。
縛りのないところで自由に使える言葉、逸話。
初心者の方たち向けの言葉、逸話。
色々な引き出しに、使いやすいラベルが貼られてきたように思う。
結局、私がこうして書いていることは、どれも、
リーダー養成とカウンセラー養成のときに
野田先生がおっしゃった言葉であって、
今ようやく理解した、という状態だ。
いや、これからも多分、ああこういうことなのかって、理解するんだろう。
学びは螺旋階段状なんだと野田先生はおっしゃった。
やっとつかんだぞ!って思っても、
私にオリジナルなんてないな。
そんなものを目指すのは、浅いレベルに留まってしまうことなのだろう。
師の言葉は、汲めども尽きない泉だ。どこまでも深い。
アドラーの言葉を、そのまま日本語にしてくださった師の言葉を、
私はこれからも一生かけて、理解しようとしていくだろう。
それでも師たちの境地に至るかどうかはわからない。
それでも、日々、少しずつ、言葉をつかんでいけることが嬉しい。
私は言葉を使って、誰かの役に立って生きていこう。