今日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会だった。

 

ライブラリの文字起こしのストックが尽きてしまったので、文字起こしをしなければならない。

文字起こしをするのは1年ぶりぐらいだ。

1年ほど前、数ヶ月の間たくさんの野田先生の講演の文字起こしをしていた。

あのときは野田先生がまだお元気でいらっしゃった。

だから私は、今ならできる、と思ってたくさん作業していたのだった。

 

私は自分の弱さを理解しているのだと思う。

でも、私は私が思うほどに弱くもないように思う。

野田先生の声を聴くのに勇気がいる。

でもきっと、一度再生ボタンを押してしまえば、私はちゃんと作業を始められるのだろうと思う。

だって野田先生の声を聴いて、文字に変えていくことが、私にできる仲間への貢献だから。

ひとりだったら私はきっと逃げ続けただろう。

もう逃げられない。ありがたいことだ。

5ヶ月経ったんだ。

 

 

アドラー心理学を、野田先生の講演や論文からしか学ぼうとしない人がいる、と批判されることがある。

私にはその批判の意味がわからない。

私には理解できないことが多い。

私の師匠は野田先生だ。

師匠が遺してくださった言葉を理解しようと努めている。

私にはわからないことばかりだから。私の技術は拙すぎるから。

師匠が描いていた理想を、私も同じように理想として掲げている。

それは、批判に値するようなことなのだろうか。

私のアドラー心理学についての理解が誤っているのならば、それは批判に値するだろう。

けれども、師匠の遺志を継ごうとする私の行動は、決してとがめられるようなものではないはずだ。

 

直接私に言ってはこられないので、私は反論する気はない。

私はただ自分にできることをするまでだ。

仲間と学び合って、仲間と治療し合う。そしてできることなら、仲間を増やしていく。

 

けれどもときどき、私の思いと違う人々の動きにうんざりして、全て投げ出したくなる。

私と思いが同じ人々ばかりじゃないのに、期待している私の方が間違っているんだろうけれど。

戦うことを選ばないようになった。

おしゃべりな私が黙ることを選ぶようになった。

それは、私の成長だ。

野田先生は、この私の変化をご存知ない。

もう未熟なままの自分でいていいなんて、甘えていられない。

 

 

さあ、やるべきことが山積みだ。

私のためには働けない。でも、仲間のためになら私は働ける。