劣等感の所在

今日はプチパセージ予定でしたが参加希望者が誰もいなくてお休み、

おかげで野田俊作ライブラリーの文字起こし作業が少し進みました。

夜はアドラーの著作の抄読会でした。

 

他に今日やったことは、

今週末の練成講座前日の、移動日の予定を組んだことと、

8月のカウンセラー養成講座見学に行くためのバスの予約をしました。

実はこういうことが一番、私が達成感を感じることなんです。

 

私は細かい予定を組んだり、バスや電車の時間調べたり切符予約したり、

電話したりメールで日程調整したり、とっても嫌いなのです。

そういう事務作業とか、連絡取ったり、

あとはパセージなどのチラシ作ったり、チラシ配ったり、

なるべくしたくないし、できることなら誰か他の人にやってもらいたいと思っています。

でも私がやるしかしょうがないのでやります。

自分でやらないとパセージも開催できませんし、

いつ自助グループを開催するかもお知らせを発信しないと来てもらえませんし、

県外で開催されるアドラーの講座にも行けないので、

いろんな作業、雑用、ほんとに面倒で好きじゃないですが、かなり慣れてきました。

あと、私は荷造りも嫌いなんですが、慣れました。

 

私はずいぶん偏った人間なんです。

細かいこときっちりこなすのが苦手、そして主婦に向いていない、

というのが私の大きな劣等感のひとつです。

でも、子どものお世話をしたり、自助グループ関連の仕事をしたり、アドラーの講座に出かけたりするために、

苦手で嫌いな色々な細々したことを、ひとつずつ片付けていけるようになったと思います。

講座はとっても楽しみで、会いたい人たちとお会いできるから

予定を調整することもできます。

目標があれば、苦手なこともできるみたいです。

やっとまっとうな社会人になってきたように思います…。

だから、予定を組めて、予約ができると、すっごく達成感を感じます。

 

 

日々のお仕事で、細かいことをきっちりこなしていく方たちのこと、

私は心から尊敬します。

私にはとても務まらないでしょう。

上司からの指示があって、その範囲内で、自分の職分を全うするということ、

それは決して当たり前のことじゃないと思います。

私は自分がやらなければ私の望むことができないから、仕方なくやりますが、

それは私のためです。

組織の中で細かい作業をこなしていくことは、直接の自分のためではなくて、

職場のみんなのため、取引先の方のため、顧客のため、

つまりは社会への貢献だと思います。

色々な立場の方のお話を聴けることで、私の世界が広がっていきます。

みなさん、私よりもずっと社会適応があって、常識があって、大人をやっていて、

社会に貢献して生きておられるなあと思います。

 

 

他の方から見れば、不思議に思われることでしょう。

でも多分、自分の持っている劣等感って、

そんなところに劣等感持っていたの?って、人からびっくりされるようなものが多いと思います。

その劣等感が弱まっていけば、きっと緊張もゆるんで、

あるいは高すぎる目標のハードルが下がって、

突き詰めない、適応範囲の広い目標になると思います。

劣等感もマイナスの感情ですから、観察して気づいていくことが、

治療につながるんだろうと思います。

その劣等感から目を反らす病のことを、神経症というそうです。

 

なので私は積極的に、あ、これが苦手、って、気づいてみようと思います。

苦手でも逃げ回っていてもどうしようもないと理解できれば、

取り組むしかしかたがありませんから、言い訳せずにさっさとこなそうとします。

ああやっぱり、私は以前より健康になったのかもしれません。

神経症的策動、あんまり使わなくなってきたように思います。

きちんと自分で切符を買って、会いたい人たちに会いに行けます!

とてもつまらなくて些細なことですが、これも一つの成長なんでしょう。