ナイフとハサミ

今日は絶対的休日。

久しぶりに調子が悪く、午前中は伏せっていた。

しかし明日からパセージなので、午後から気合いで復活。

(いえ、薬と睡眠と食事のおかげです。

私をそーっと寝かしておいて、食事の準備等してくれた夫と子どもたちに感謝です。)


私はたいへん不器用で、子ども時代は様々な場面で劣等感を感じてきた。

小学校で苦労したのは、

勉強の内容も高学年になると難しかったけど、

もっと勉強と直接関わりのないことだったように思う。

ファイルにタイトルとか名前を書くこと、とか。

紙を切って貼り合わせること、とか。

プリントを折ってノートに貼ること、とか。



小学校1年生だったか2年生だったか、生活科の授業で、

ナイフで果物の皮むきをしてみようっていう日があった。

家で母に手伝ってもらって、練習したと思うんだけど、そのことは覚えていない。

私はナイフを使うのが怖くて、皮むきが上手にできなくて、その授業の時間が永遠に続くように感じていた。

しかも私は、柿を持って行ったんではなかっただろうか…。

林檎の方がまだむきやすかっただろうに。


母がいつも使っていた果物ナイフは、母が使うとクルクルと果物が回り、

林檎や梨や柿の皮がするすると細いリボンのようになって母の手元から垂れ下がる。

だけど私の手の中では、ぎこちなく果物を傷つけていくばかりだった。


結局柿の皮をむけたのか、どうなったのか覚えていない。

ナイフを使うのが怖いと泣き出した女の子が2人ほどいて、その子たちに先生がつきっきりだったことを覚えている。

私は泣かなかった。


隣の席の男の子がとても上手にむいていた。

周りを見たら、上手にできる子もいたし、苦戦している子もいた。

なんで私はこんなことをせなあかんのや、と絶望したという早期回想だったのだけど、

今の私は周りを見回す余裕が出てきたようだ。

隣の男の子が上手にできることに焦った気持ちも、今はもうない。

単に、すごいなって思う。

うちの長男みたいだなって思う。


私はナイフを使うのが下手だなという劣等感を強く味わった、という、

以前よりは明るいトーンの物語に変わったような気がする。

上手な人もいる。下手な人もいる。

ああそうだ、私は下手なりに、投げ出さずに時間いっぱいまでナイフを使い続けていた。

これは私のストレンクスかもしれない。



長男はとても器用だ。

工作も折り紙も絵を描くのもお裁縫も編み物も料理も、

物を作るのが大好きな人だ。

電球変えたり色々修理したりするのも好きみたいだ。

そう、私は基本的にこういうことが全部好きでないし苦手だ。

私が好きなことは音楽と読書と作文だった。

長男は私の好きなこれらのことも大好きだし、得意だと思う。

彼は本当に能力が高い。



そんな彼に、今日もお手伝いをお願いした。

パセージの名札に使うちょうどいい大きさの紙を、先日いつもの文具店に買いに行ったら、

今まではバラ売りしてくれていた紙が、30枚パックでしかお売りできませんと言われてしまった。

コロナのせいらしい…。

何色かから選んでもらいたいし、30枚ずつも要らないし、困って、

大きな色画用紙を買うことにした。

裁断をお願いしようとしたら、別の工場に頼みますので数日かかりますとのこと。

面倒になってしまって、大きいままで持ち帰った。


その色画用紙を切るのを、長男にお願いしたのだった。

いいですよ〜♪と快く引き受けてくれた。

とても助かった。

少し紙の端がいびつだったりするけれど、

私が切るより確かに綺麗だし、何よりも長男の気持ちが嬉しかった。


ぼくお役に立てた?

もちろん!とても助かる。ありがとう!

いえいえ〜良かったです〜♪お母さん、パセージ頑張ってね!


本当にありがとう。

きっと私は、長男に協力してもらって助けてもらっているように、

メンバーさんたちに協力してもらって助けてもらいながら、パセージの旅を楽しむことができるだろう。