治療的楽観性

今日は自助グループと野田俊作ライブラリのオンライン勉強会だった。

それから、新しく『子どもの協力をかちとる』の抄読会の相談がまとまって、

計画が立った。

こちらは実際に顔を合わせての勉強会だ。

 

どんだけ勉強会するんだ、私は。

勉強会や自助グループやプチパセージのおかげで、

明らかに最近、体験と言葉とが結びつき、学びが深まっているように感じる。

仲間と一緒に学び合うのは、1人で学ぶよりもまったくもって楽だ。

話し合っているうちに見えてくるものがある。

話し合っているうちに疑問は解けるか、別のより扱いやすい疑問に形を変える。

学び合っているうちに、次学ぶべきものが見えてくる。

そういうことを、1人で学んでいると全部自分でデザインしなければいけない。

私はつまづくと、すぐに挫折してしまうし。

仲間がいれば、勇気づけてもらえる。

至らない私のままで、少しでも成長できるように、努力し続けることができる。

 

 

パセージやカウンセリングはひとつの芸だと思うので、

1人でコントロールしなければならないことがとても多い。

でも、パセージもカウンセリングも、メンバーさんやクライアントさんがいる。

私にいつも協力してくれる人たちが。

私は1人でやっているのではなくて、

メンバーさんやクライアントさんのお手伝いをしていて、

同時に私のお手伝いをしてもらっているのだ。

私たちは互いに作用し合っている。

そのことをつかむまで、私はかなり時間がかかった。

 

カウンセラーの資格を取るまで、私はエピソードが出るのが怖かった。

怖かったという表現はちょっと違うかもしれないけど、

エピソードを聴くことに緊張していた。

どうやって解いたらいいんだろうって、考えていたからだ。

それは根本的に間違っているから、結果的に私はエピソードを聴くことができず、

カウンセリングがうまくいかなかった。

私が緊張すると、クライアントさんも緊張した。

私が道に迷うと、クライアントさんも道に迷った。

 

今は、エピソードを聴くことが楽しい、といえば失礼になるかもしれないけれど、

どんな物語なんだろうって、とても興味を持って聴いている。

この方はこの物語をどのようにとらえているのだろう、

どこをとらえ間違っているのだろう、

どういう物語なら正しい語り方になるのだろう、

アドラー心理学の目指す目標に向かうためには、今、何を学んでもらったらいいのだろう、

そんなことを、聴きながらつかもうとしている。

この問題を解決するのはこの方だ。

この方は、きっとご自分の力で解決できるはず。

そう信じられるようになった。

そう信じていると、この方のストレンクスがたくさん見えるようになってきた。

そして、この物語は、この方の大事な価値観によって彩られている。

その価値観は、必ず、美しい物語を作る力を持っている。 

 

私がすることは、アドラー心理学のどの公式を当てはめればよいかを考えるだけ。

もしご存知なかったら、その公式をお伝えするだけ。

もしご存知だったら、その公式を思い出してもらうだけ。

そうすると、代替案はその方ご自身が探し出すことができる。

いったい何がどうなって物語が変わるのか、未だに私はわからない。

今日の自助グループでも、何度も、物語が変わる瞬間をみんなで体験した。

ロールプレイで確かめることができた。

でも何が起こっていたのか、私にはわからない。

ただ私は、どういう手順で一緒に考えていけばいいかという道筋はわかっている。

そして、どういう場に整えていけばいいかということはわかっている。

 

自助グループもパセージもカウンセリングも、私の役割は一緒なんだ。

明日からカウンセリングルームの活動が始まる。

私は、クライアントさんの物語を聴きたい。

一緒にその物語を、より幸せな物語にできるように、

手をとりあって、歩いていきたい。

私にそのようにして、共に歩いてくださった先輩たちのように、

私もクライアントさんの仲間になりたい。

私にできることはとても小さなことだけれども、

私が私にできることがあると信じている限り、

そしてクライアントさんを信じている限り、

必ずクライアントさんは良いことを学んでくださるはず。

そしてきっと、クライアントさんがご自身の力で、答えを見つけられるはず。