今日はカウンセリングでした。
クライアントさんのお役に立てるような働きかけができるようになりたいです。
パセージのサブリーダー研修のときや、ひとり目のクライアントさんのときもそうだったのだけど、
私は拙い自分でいるのがとても嫌で、
修行中の私のところに来てしまったメンバーさんやクライアントさんに対して、
申し訳ない気持ちがありました。
もっと腕のいいパセージリーダーやカウンセラーに出会えていれば良かったのにねって。
でも、それは仕方のないことなのです。
誰だってはじめは、未熟なのです。
場数を重ねて、修羅場をくぐって、上達するものなのです。
その現実を受け入れられるようになって、
以前のようには落ち込まなくなったかなと思います。
早く私は上達したいです。
以前は、自己執着から、私のために、上達したかったけれど、
今は、クライアントさんのために、上達したいと思います。
だから今、私はできる限りの勉強をしているんだなと気付きました。
まだメシア願望は残っているのかな?
パセージについては、自分ひとりで4回コースを終えて、
かなり自信はついてきました。
とはいえ、不出来なところはいくらでもあります。
そこに目を向けていたらしんどくなります。
そうではなくて、野田先生が「今日は今日の名人と思いなさい。」とおっしゃったように、
今日精一杯できたことを認めたら、前向きになれます。
明日のため、建設的なことをしようと思えます。
どれほど勉強しても、たとえどれほど上手になったとしても、
私はきっと、やっぱり、自分の不出来なところを見つけて、
自分で思うほどに上手くはできない自分を不甲斐なく思うのでしょう。
そうやって決して届くことのない理想を追い求めて生きていくのでしょう。
だけど、たとえどんなに拙い私であっても、
私がクライアントさんに向き合って、お話を聴いて、
共に物語を生きていくことができれば、
きっとクライアントさんのお役に立てる、と信じます。
それを信じていなければ、カウンセリングなんてできません。
私に大切な物語を聴かせてくださったことをありがたく思います。
きっとカウンセリングは、調律のようなものなのです。
よく聴くことができれば、少し整えるだけで、
その人が本来持っている美しい音を、のびやかに響かせられるようになるはずです。
私は今日、クライアントさんの美しい音を、聴くことはできた。
それはたぶん、信じていいことだと思う。