おしゃべりな私

パセージの話をもう少ししてみる。

私がよくしゃべる人間であるということを自覚したのは、パセージリーダー養成講座のときだった。

自覚したというのは、

これは私から切り離せない特徴であるということをはっきり理解したということと、

意識して訓練することによって、ある程度制御できるものであると理解した

ということを意味する。

 

私はこのしゃべりというものを使って、

あるときは人に自分の気持ちや考えを伝えたり、

あるときは人を楽しませる話をしたり、

あるときは人を思い通りに動かそうとしたり、

あるときは人に聞いてもらえることで快を得ようとしたり

してきたと思う。

緊張すればより饒舌になったし、

うまくしゃべれなければ落ち込んだし、

上手にしゃべる人たちに憧れた。

私はしゃべることにとても価値を置いてきた。

そういうことを自覚した。

 

パセージリーダーは、しゃべり過ぎてはいけない。

このことが、パセージリーダー養成講座のとき、私にとって高いハードルとなった。

 自分の意見をしゃべっちゃいけないというリーダーの基本的な動きは、

私のライフスタイルを変えなければ習得できそうになかった。

 

パセージのコースの中では、メンバーさんたちが様々な意見や質問を出してくる。

リーダーの動きは、マニュアルに縛られている。

だけれどもマニュアルも、すべての突発事態に対応できるように書かれているわけではない。

私は今まで、何かが起こるとまずしゃべり、

しゃべりながら次の行動を考えていたようだ。

適当に場をつなぎながら、しゃべりながら考えをまとめていたようだ。

でも私は、パセージ中は無意識的にこういう風にしゃべりを使うことはできない。

私がしゃべると、時間がなくなり、メンバーさんがしゃべれなくなり、

結果、私が先生になってしまって、パセージではなくなってしまう。

サブリーダー研修が終わってからも、しばらくは、

しゃべり過ぎてはいけないというパセージリーダーの動きに、

ある種の劣等感を感じていたと思う。

 

じゃあどうするのか。

それは、私が考えるのではなくて、メンバーさんたちを信頼して、お任せするということだ。

つまり、メンバーさんの話を聴くということだ。

話を聴いて私の意見を言うのではなく、聴いてから、質問を聞くということだ。

メンバーさんたちは、自分で学びをつかんでくれるから。

私の役割は、テキストとメンバーさんをつなぐことであって、

そこに私の意見はいらない。

パセージから道がそれないように、マニュアルに沿って進行していくことがリーダーの仕事だ。

言葉ではわかっていても、それが腑に落ちて、できるようになったのはずいぶん後だったと思う。

 

普段の生活でも、どれだけ私は自分の意見を無意識的に吐き出し続けていたのか、

気づくようになった。

子どもたちが何かをしたり、何かを言ったら、

少なくともその3倍ぐらいは私が意見を言っていたように思う…。

それは確かに楽しかったかもしれない。私は。ときには子どもたちも。

でも、子どもたちの話をきちんと聴いてはいなかったと思う。

私の話を聴かせていたんだと思う。

なにか、ちゃんと聴いているよっていう証明として、私はしゃべっていたようにも思う。

でも、私が意見を言わずに、あいづちを打ったり、質問をしたりしても

ちゃんと話を聴いていることは相手に伝わるし、

そうする方が、子どもたちはよりたくさん話をしてくれる。

そうやって聴くこと聞くことをたくさん練習させてもらったおかげで、

だんだん、私の意見を言わずにパセージリーダーらしい動きをしていくことについての

劣等感が薄らいでいったように思う。

 

 

先日の8章で自助グループの紹介をしたとき、

よく来てくれているメンバーさんが、

自助グループだと、美穂さんがいっぱいしゃべってくれて面白いですよ。

と言ってくれた。

そうだった。

自助グループだと自由度が大きいから、私の話が色々とできる。

パセージ中、私が「これはもっと深いお話なんですが、ここではお話できないんですよ〜」とか、

もどかしそうに言ってるのをみなさん聴いているからか、えらい受けていた。

私がそうやって格好悪くリーダーをやっているのは、私としては不本意なんだけど、

でも、本当はおしゃべりな私が、自分を制御しようとあがいている姿からも

何かを学んでもらえるとしたら、それでもいいかと思う。

メンバーさんに、私が自助グループとパセージとで、

自分の使い方を変えていることを感じてもらえている、ということがわかって、

とても嬉しかった。

 

上手なパセージリーダーになることはもうとっくに諦めた。

そういう目標はきっと自己執着だから、よいことは生み出さない。

とにかく、私を有効に使ってもらえるように、

メンバーさんたちがよりよく学べるように、

そういう働きかけのできるリーダーになれたらいいと思うようになった。

そう思っているうちに、メンバーさんたちのことがよく見えるようになったと思う。

そして、一緒に物語を鑑賞する仲間になれたと思う。