多くの師たちと同学と

今日は自助グループだった。

パセージリーダー養成に合格された仲間の、リーダー養成講座のシェアリングと、

エピソード分析をした。

 

リーダー養成講座は、私にとってもとても大事な思い出だ。

仲間たちとこうやって学んでいくんだと学ぶことができた。

私の特徴を知り、扱い方を学び始めるきっかけになった。

あのあたたかいグループの、協力的な雰囲気、みんなのまなざしを、何回も思い出す。

もちろんパセージをするときにも思い出すけれど、

私はひとりなんじゃないかと落ち込むとき、よく思い出す。

そんな孤独はただの思い込みだって、すぐに否定することができる。

養成講座の間に仲間からもらった勇気づけカードは、私の宝物で、

いつでもすぐに見返せるように綺麗な箱に入れて置いている。

 

この度リーダー養成を受講した仲間も、とても素敵な仲間と体験を得たようだった。

自分のためではなくて、事例提供メンバーさんのことを思って最善のことをしようと努めておられたんだなあと感じた。

いつも通りの、彼女の美しいところがそのままに、より磨かれたんだろうと思った。

あの場で難しいことに挑戦できることも、すごいと思った。

 

様々な技術を上手に使うことや、上手くグループを回すことや、時間内に納めることや、

マニュアルに沿って進めることや、パセージリーダーのお作法を守ることや、

たくさんたくさんの条件に縛られて、ときには何かを手放さなければならないこともある。

でも何が一番大切かといえば、

それはメンバーさんに何を学んでもらうかという視点と、メンバーさんを勇気づけることだと思う。

それがあれば、あとは場数だと思う。

 

 

先生方からのコメントをシェアリングしてくれたことも、私にとって大変ありがたかった。

私の元で学んでおられる方の動きは、すなわち、私の鏡である。

彼女の至らないところがあれば、それはすなわち、私の至らなさなのである。

彼女を通して私が透けて見えてしまうので、リーダー養成の間、私も結構緊張していた。

もちろん合格されると信じていたけれど、それとは別に、私の至らなさがどれほどの至らなさなのかということが、怖くもあった。

そういう私の臆病さについても、今日の自助グループでお話しできてよかった。

今までに私が先生方からいただいた、厳しくもありがたいコメントをお話ししたりもした。

私たちは同じ師に学ぶ仲間だ。

 

そういう仲間を作っていっている自助グループが、全国にいくつもある。

この度のリーダー養成講座の、全国から集まって来た受講者さんのことを聞いていると、

私が様々な講座などで一緒に学んでいるリーダーさんや、私のリーダー養成同期の仲間の所属している自助グループで学んでおられる人だとわかったりした。

こうやって脈々と、私たちの仲間はこの学びを新しい仲間へと手渡していく。

 

 

今日のエピソード分析は、パセージのその先を学ぶことができたように思う。

パセージを使って子どもを巧妙に支配することの危険性を、はっきりと理解しておられる事例提供者さんだったので、

自分の執着を手放すという難しい代替案だったが、果敢に挑戦してくださった。

アドラーの実践という現場におられない支援職のメンバーさんが、親の自己欺瞞や課題の肩代わりを許さないアドラー心理学の潔癖さに、

厳しいなあ!と実感してくださったのも嬉しかった。

それがアドラー心理学だと私は思う。

創始の師のアドラーは、「クライアントのスープに唾を吐け」と言う過激な人だ。

 

 

愛する我が子だからこそ、私の期待通りになってほしいと願ってしまう。

それは誰だってそうだろう。

でも、子どもは私とは違うひとりの人間だから、私とは違う価値観を持ち、違う意見を持つ人間だから、

私は自分の思い通りにしたいという欲を手放さなければならない。

子どもが自分で人生を切り拓いていく勇気を持って、力を持って、生きることができるように。

それが子どもを援助するために、まず必要な心構えだと思う。

 

誰に対しても、そんな風に、相手を支配することなく、

しかし素直にお互いの思いを伝え合いながら、協力して共に生きていけたらいいなと思う。